父が体調を崩すと、心配ながらも主治医のドクターが昼夜問わず気にかけてくださっていたので、とても心強い介護生活でした。 そして、自分自身の健康管理が第一というのを肝に銘じました。 父のことが大切だから、父が第一と思いがちですが、自分自身が健康でなければ父を病気にさせてしまいかねません😷🤧 だ... 続きをみる
介護家族のブログ記事
介護家族(ムラゴンブログ全体)-
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父の世代は寅さん大好き🎬️ 私は以前はまったく興味なかったけれど、ベッドから動けない父に付き合って観ているうちに大好きになりました。 BS放送で毎週放映していて、終わってもしばらくしてからまた放映するので、数年の間にすっかり覚えてしまいました。 あちらの世界で寅さん見つけて喜んでいたりして(... 続きをみる
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父のスキンケアは念入りにしていました(笑) この日は毛穴パック。 だけど肌が弱い父には刺激が強くて赤くなっちゃった(;^_^A この後、しっかりたっぷりオイルでケアしました。 3日連続のパックデーでした。 ↓ 【介護日記】2017年10月8日 今日は毛穴パックを❤ 明日は顔全体にヒアルロン... 続きをみる
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父は母と結婚する際、「自分の家族だけでなく、(母の)親も兄弟も守るから」と誓ったそうです。 その通り、父は母の実家にも足繁く通い、祖父母にお小遣いをあげたり、いろいろ手助けをしてあげていたとか。 嫁の実家というより自分の実家感覚で、仕事(自営業なので配達)の途中に寄って昼寝までしていたことも(笑)... 続きをみる
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もう20年過ぎているので記憶が曖昧な部分もあり、父が倒れた日を10月3日と書いている年もあるし4日と書いている年もある💦 ま、とにかく10月のアタマだったことは確かです。 毎年節目に「覚悟をしてる」と綴りつつも、「まだ頑張ってほしい」とも願うわがままな娘。 ICUで目は開けられない、しゃべれない... 続きをみる
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介護の情報を仕入れるために、あちこちの勉強会にせっせと参加していました。 プロに混じって図々しくも素人の私が(笑) でも、「介護家族のプロ」として(笑)、医療介護従事者の方が私に一目置いてくれることもあり、気恥ずかしいです❤️ この頃は、いわゆる「遊び」に出かけることは父にすまない感じがして気が進... 続きをみる
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10月なのに、今年はまだ地域によっては夏日のところもありますが、10年前はまだちゃんと秋が訪れていましたね。 暑さを乗り越えた父の様子に安堵。 しかもこの少し前には誤嚥性肺炎で入院し、生きて家に帰れるとは思ってなかったから、本当に心の底から父に敬意を表していました。 しかし、父は父なりに忙しかった... 続きをみる
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父との会話はとんちんかんなことが増えてきましたが、その根本はしっかりしていると思いました。 私を盗っ人扱いするのも、テレビのニュースを記憶しているからこそ。 寝たきりになっても家族を守ろうとする態度を示すことすらありました。 そんな父を頼もしく尊敬する毎日でした。 ↓ 【介護日記】201... 続きをみる
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だんだん認知症が進行し、まだらボケではありますが、その比率が変わってきてきました。 でも、父本人もわからないところで私が娘ということは脳内に残っているようです。 訪問診療の時には怖くて私の手をしっかり握ったり、よその人には超敬語なのに私には悪態つくし(笑) 心は許してくれているんだな、と❤️ ... 続きをみる
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今日は10年前の振り返り。 在宅での点滴にまだおっかなびっくりの頃でした。 これ以降、点滴管理は母と私、家族が主体となってやることが多くなってきて、主治医は最初に針を刺すだけ(笑) 「1秒間に○滴」と指示を受ければ、時計の秒針とにらめっこで微妙な調整を必死にしたり、もったいないから全部使いきろうと... 続きをみる
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振り返りといってもわりと最近の部類になります。 もう父が亡くなって1年以上過ぎている頃です。 事情があって不動産を早く売却する必要に迫られていたので、メンタル病んでも馬車馬のように毎日動き回っていました。 父が建てた家は主(あるじ)が旅立ったことでその役目を終えました。 私たちはそこから去るのみ。... 続きをみる
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2015年の休日の一日の振り返りです。 この頃の父は寝たきりとはいえど体調は安定していたので、普通に付き添って父の相手をしていればよかったのです。 基本的に病人扱いせず、楽しませつつも、父にとっては虐待になってしまう(笑)爪切りや鼻毛切り、耳掃除などフルコースを行うのが一般的な休日の過ごし方で... 続きをみる
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昨日に引き続き、介護関連の勉強会へ参加したときの投稿です。 もちろん専門職向けのセミナーですから、脳ミソ沸騰状態です。 でも、ここでたくさん知識を得ることで、主治医に質問をすることができました。 「おっ!この患者家族は油断ならないな💦」と思わせることも(笑)、よりよい在宅介護には必要かと。 専門... 続きをみる
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介護日記というより勉強会参加の振り返りです。 この時は、医師自身が妻の介護をしているということで話題になっていた石本浩市先生のお話を聞きました。 石本先生はこの後まもなくお亡くなりになられたそうで驚きでした。 奥様はご主人の死もわからなかったそうです。 一度しかお会いできなかった先生ですが、優しい... 続きをみる
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父が突然熱を出すたびに、不安な気持ちになりました。 そんなときの神頼みはもちろん主治医のドクター。 コロナ以来、24時間往診対応のクリニックも増えましたが、わずか数年前だけどそんなところはほとんどありませんでした。 それに、私みたいな健常者が飛び込みで受診するのと違い、要介護者の父は、日常的にお世... 続きをみる
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消化能力が徐々に衰えてきた父。 元気な頃は大食漢だったことを思い出すと切なくなります。 しかも口から食べることができなくなって、それなのに私はこれまでと変わりなく食事ができることに罪悪感を感じることもしばしばでした。 それでもこの日は氷イチゴ🍧を食べさせてあげられました。 そのことに喜んでい... 続きをみる
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7年前の振り返りです。 認知症が進行してはいましたが、まだらボケと言えばいいのでしょうか、ボケちゃっているときとしっかり正気のときとが入れ替わり立ち替わりになっていました。 そして時々タイムスリップ。 そんなときは「お父さん」と呼んでも自分ことだと思わないのか無反応。 子どもの頃の呼び名には瞬時に... 続きをみる
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この日の投稿に出てくる「怪獣2号」とは、妹の子ども、甥っ子です。 いま高2だから、当時は幼稚園年長か小1くらい?…すいません😣💦暗算できません(笑) 子どものパワーはものすごいので(笑)、マトモに相手してるとエネルギー吸い取られます(笑) でも、父は寝たきりでも「威厳があって、それでいて孫... 続きをみる
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在宅介護最終章……つまりは、父の命の灯が消えるまでそう長くはないだろうと思ってあらたに「最終章」と自らに覚悟を強いたのですが。 ところがところが! 父は意外に小康状態。 もちろん元気というほどでもなく、徐々に枯れてきているのは明らかなのですが、苦しむ様子がなくなり、こちらも穏やかな気持ちで父のそ... 続きをみる
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この日は2回投稿しています。 父の反応が嬉しくて、つい興奮してしまいました(笑) 勉強会で学んだことで、いつもと違う角度から父を見るといろいろな発見がありました。 無理はさせたくないけれど、諦めるのもイヤだ。私たちも葛藤の日々でした。 だから少しでも進歩があると、 「お父さん!(*^ー゚)b ... 続きをみる
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胃ろうを造ってからは、そのケアも毎日念入りにしていました。 そのせいか、本来半年ぐらいで交換しなくちゃいけないのに、きれいな状態だからと、 「次は10か月後でも大丈夫ですね」 「1年後でいいでしょう」 と、どんどん期間が伸びてきました。 交換はちょっとの痛みと(父にとっては)すっごい恐怖感があるの... 続きをみる
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今現在も、暑いけど朝夕すこーしだけ秋っぽい空気になってきたように思います。 暑さは父のような要介護の高齢者には命取りになることもあるから、早くこの暑さが遠のく日を待ちわびていました。 子どもの頃は暑さも楽しかったのにね。 今日は自身の通院のついでに寄った和菓子屋で栗蒸し羊羹を購入。 また、今日... 続きをみる
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この日は厳密には【介護日記】ではありませんが……。 とあるご縁から、医療介護従事者の方々が学ぶセミナーに参加させていただくようになりました。 専門職向けのセミナーなので、正直内容はほとんどわからない(笑) でも、わからないということをわかることが、私にとっては収穫でした。 このような勉強会を知ら... 続きをみる
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父は訪問歯科も利用していました。 口の中をあれこれいじられるのが嫌いで、ケアの最中はずっと私か母の手を握り続けていました。 少しでも口から食べさせてあげたいと思って、歯のケアだけの訪問歯科から、嚥下リハも対応してくれる歯医者さんにお願いしたのですが、なかなか難しくて、私の方がくじけそうになってしま... 続きをみる
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在宅介護をしたくても事情があってできない家庭もあります。だから在宅介護が絶対!とは言えませんが、ニュースなどで報道される介護施設での事件や事故を見ると、どうしても施設に預けることに消極的になり、在宅介護第一と思ってしまいました。というより、選択肢に在宅介護以外ありませんでした。 もっともわが家の場... 続きをみる
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週に1回は父の顔を念入りにケア。 安易に石鹸を使ってしまって洗い残しがあると、父は肌が弱いので大変なことになってしまいます。 外気の汚れが着くわけではないので、古い皮脂と角質を落とすために、皮脂の成分に近い椿油でオイルマッサージで汚れを浮かせてきれいにします。 汚れを落として潤いプラスで、父の肌は... 続きをみる
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介護の度合いが増えたので、心細さがMAXの毎日でした。 入院中なら何かあってもすぐにドクターやナースが来てくれますが、在宅ではそうはいきません。 主治医となってくれたドクターともコミュニケーションがなかなか取れず(私は訪問診療日に仕事で家にいないため、母からのまた聞きだけだったので)、何とかうまく... 続きをみる
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父が倒れた直後、たくさんの柔道仲間が寄せ書きやお花を贈ってくれました。 その寄せ書きは父のベッド脇に飾っていました。 が!その後その寄せ書きに名前を連ねている方が、ひとり、ふたりと鬼籍入り。 誰もが父が最初に旅立つと思っていたのに驚くぐらいの大誤算。 本当に父の生命力の強さに驚き、そして嬉しく... 続きをみる
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7年前…この年も父は暑さで衰弱していました。 だからわずかの反応でも嬉しかった❤️ 父の笑う顔が見たくて、私はいろんな芸を披露し続けていました。 私は父専属の芸人です(笑) ↓ 【介護日記】2016年8月30日 私が帰宅したとき、今日も父は目を閉じたままでした。 「ただいま~🎵」と言っ... 続きをみる
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在宅介護ってすごい大変でしょとよく言われました。 もちろん苦しい時もあったけれど、けっこうテキトーなこともあります(笑) ↓ 【介護日記】2016年8月29日 ここ数日で急激に目を閉じていることが多くなった父、眠っていない時は以前にもまして家族のことを呼ぶようになりました。目を閉じて... 続きをみる
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時系列めちゃくちゃに綴ってしまっているので自分でも混乱してしまいますが、7年前、父の最終章を意識した年ですね。 最終章が始まったとはいえ、父の最期までの覚悟はまだできていなかったように思います。 とにかくそう遠くない時期に訪れるであろう今生の別れのその日まで、精いっぱい父に尽くし、父を愛し愛さ... 続きをみる
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父のお通じ💩のチェックは健康管理に欠かせません。 毎日オムツ交換の際は、顔に💩がくっつきそうなところまでオムツに顔をギリギリまで近づけて💩をチェック(ド近眼+老眼なもので👓️) においや形状、色……くまなく観察するちょっとフェチな娘です(笑) シモの世話をされる側はきっと嫌だろうなと思いま... 続きをみる
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この日は3連投の投稿でした。 父が弱っていくのは自然のことだと受け入れる決意をし始めました。 父が消化できないほどの栄養を無理やり投与しても、苦しくてむくんで時には胃から逆流して誤嚥してしまうだけ。 父の体調をそれまで以上によーく見て、微調整をするようになりました。 でも、最終章を覚悟してから... 続きをみる
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あとから考えると、父にとって最期の夏でした。 しんどかっただろうに、ずいぶん頑張ってくれたんだなと、悲しみよりも感謝の気持ちが出てきます。 力自慢の父が枯れ木のように衰えていくさま……父は己の身をもって「いのち」を教えてくれました。 ↓ 【介護日記】2018年8月25日 衰弱が進んで... 続きをみる
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父が亡くなってから3か月ほど過ぎた頃、偶然に見かけた訪問入浴サービスの車。 スタッフさんたちとの別れは突然でした。 いくら体調が悪くてもずっと入浴できないのはかえってよくないと思っていたから、入浴のお休みはせいぜい2~3回で、少しでも体調が小康状態になったら短時間でもお願いするつもりでしたし、スタ... 続きをみる
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今年の暑さは異常だと言われているけれど、6年前の夏も父にはしんどかったと思います。 毎日一緒にいるのに衰えがすごい進むのがわかりました。 父の回復を必死に祈り続けた夏でした。 ↓ 【介護日記】2017年8月23日 本日、父は10日ぶりの入浴♨ 私の体調不良とほぼ時を同じくして父も体調を崩... 続きをみる
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いやいや、10年以上遡った振り返りなんて久しぶり?……なんて言うほどまだ投稿していませんが(笑) この頃は要介護状態とはいえ、車椅子で出かけたり好きなものを食べたりして、歩けないのと時々頭の中がフリーズしたりお花畑になる以外は何の心配もなく、穏やかに暮らしていました。 そうこうしているうちに利用し... 続きをみる
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今年も雨や台風などの自然災害が多いですが、この時も(…というより最近はほぼ毎年)大きな事故があってニュースではそればかり報道していました。 父にあんまり恐怖を与えるニュースは聞かせたくないんだけど、ラジオはNHKオンリーのわが家なので仕方ない(笑) 寝たきりになっても、認知症になっちゃって... 続きをみる
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久しぶりに父を見送ってからの回顧録、振り返りです。 亡くなってからも父宛の郵便物が届くのは切ないものでした。 そういえば昔、二十歳前に親友が急逝したのですが、彼女のお母様が「本人がいないのに振り袖のカタログが送られてくるのよ。電話もよくあるんだけど、『娘は亡くなりました』と言うと電話の向こうの... 続きをみる
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この投稿をした2013年8月は今思うと、父が入院して経管チューブ装着となり、前月に退院はしたものの衰弱していて、もう長くないかも…と、そう遠くない将来に訪れるであろう看取りに向き合う覚悟を秘かに決めた頃だったような。 だから、必死に父から話を聞こうとしてたのかもしれません。 私が子どもの頃から終戦... 続きをみる
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毎年、この時期になると必ず振り返る父の「ものがたり」。 戦争の最前線ではない、銃後を守る女とともに戦争を戦い抜いた子ども(父)の実体験です。 「クスッ」と笑って話せる時もありましたが、要介護状態になってからの父は、この話をすると「エーン!」と子どものように泣きじゃくるようになりました。 ... 続きをみる
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19年在宅介護してきました……とは言っても、メインで父の介護をしていたのは母で、私はそのサポート役にしかすぎません。 父から一時たりとも目を離さない母は、機器に頼らず父の体調を完璧に把握。 すごいです。 ↓ 【介護日記】2015年8月14日 母の特技(?) 父の顔を見ただけで体温を... 続きをみる
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今となっては懐かしい父のオムツ交換。 一度として「イヤだ!」と思ったことはありませんでした。 もちろん💩のニオイはするけれど、それをくさいと不快に思ったこともありません。 排泄の観察は父の健康管理に大切なことでした。 でも、いろいろやらかしていたのが、そそっかしいわたくし(笑) 味噌もク○も一緒... 続きをみる
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経鼻カテーテルを装着してからは、常に喉に違和感があったと思います。 ずっと胃カメラ検査やられているようなものですから。 申し訳ないとは思いつつも、命には代えられないから心を鬼にして痰の吸引していました😢 自力で痰を出してくれると嬉しくて、思わず素手でキャッチしてしまうこともしょっちゅうでした(笑... 続きをみる
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暦の上では秋なのに、何なのこの暑さは?🔥 暑さは要介護者である父にとっては、我々以上に命の危険が伴いますから、介護する側も命がけでした。 そこでやっかいなのが母(笑) 母に限らず高齢者は「冷房は体に悪い」が染み付いているので、冷房を付けさせるのに一苦労(笑) よく父の主治医に怒られてました。 室... 続きをみる
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誤嚥性肺炎を発症してからは、父は口から食べることができなくなり、数年は経鼻カテーテルを装着していました。 しかし、毎月交換するたびに辛い思いをさせてしまい、いつも鼻からプラプラと管がぶら下がって、さぞかし父は不快だったと思います。 かといって胃ろうを造るのにも我々家族は抵抗があり、決断までに葛藤の... 続きをみる
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少し間が開いてしまいました。 暑くて過去を振り返ることもしんどいほど。 今日の振り返りは、父にとって最後の夏。 この翌年の夏にはもう父は旅立っていました。 昨今の暑さを考えると、もしいま父が生きていたら、はたしてこの暑さに耐えられただろうかと思ってしまいます。 父を介護していた住まいは、父が建... 続きをみる
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要介護で認知症の症状が出てくるようになってからは、突拍子もない役柄を要求されることもしばしば。 とにかくとんちんかんなことを言われても、否定はしない。それを厳守して父との会話はなされました。 私たちが夢であり得ないシチュエーションを見るように、あり得ないことでもその時の父にはそれが「現実... 続きをみる
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私の父は生涯オール自前の歯でした。 だから昔は歯でビールの栓を開けちゃいましたし、スペアリブは骨までバリバリ🍖 ロクに歯磨きもしなかったのに、虫歯もほとんどなくって(爪楊枝でシーハーしていたから、食べカスとかの歯の汚れは取れていたんでしょうね)。 だから介護をするようになったら、父の歯磨きは... 続きをみる
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暑い夏でも冷房つけっぱなしだと冷えてしまいます。 ことに父は体温調整を自力で行うのが難しくなってきていたので、母と私で小まめにチェックをしていました。 で、父のためのグッズは市販品だと帯に短し襷に長しなので、父にとってベストなものは基本、母の手作り❤️ 私の履き古したルーズソックスとか、見た目... 続きをみる
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私が家にいる時(仕事が休みの土曜日)の入浴時には、元大手エステティック会社勤務の(現場じゃなかったけど🤭)腕をふるい、ゴッドハンド(?)によるフェイシャルケアスペシャルコース💆 父は顔にホットタオルをのせると「アチいよっ!バッキャロー💢」とか「コンニャロー💢」とか喚きますが(笑)、私は決し... 続きをみる
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昨日アップしたのと同じ年の投稿です。 経鼻カテーテル装着した父への栄養補給のことを綴っています。 私は結婚はもちろん、子どもを持った経験もないので、四十代になって初めてミルトンなるものとご対面。 ミルトン専用容器を買いに、やはり初めて西松屋へ。 ↓ 【介護日記】2013年7月22日 昨... 続きをみる
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誤嚥性肺炎で入院し、口から食べることを禁じられて経鼻カテーテルをつけた父。 介護といっても今まで経験してきたそれとは違うものだと覚悟をして父を病院から迎えました。 父が倒れるまで家事もロクにやってなかったパラサイトシングルの私には、どうってことない普通のことも最初はしんどかったです。 ぐうたらのく... 続きをみる
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私の推しキャラはポムポムプリン❤️ なぜかドーナツ枕までありました。 私自身には使い道がなかったのですが、父の介護に大活躍! 夏場は高湿度による浮腫みや熱中症、脱水症の他、足指の間が蒸れちゃうから、そこまで目を光らせていました。 ↓ 【介護日記】2014年7月19日 これ、ポムポムプ... 続きをみる
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訪問入浴のスタッフさんには大変お世話になりました。 皆さん父に親身に接してくれ、父の「バッキャロー💢」も絶好調です(笑) ただ、やはり一所懸命でも元来ザツなお方もいらっしゃって……(苦笑) 本人はそんな気なくても洗い残しや傷を作られちゃったり💦 だから最初から終わりまでずーっと目を皿の... 続きをみる
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要介護となっても父との何気ない会話は幸せなひととき。 元々はロクに会話もない万年反抗期の父娘でしたが、介護を通じて穏やかな関係を築くことができました。 ↓ 【介護日記】……と題していいものかどうか(-""-;) 2015年7月17日 おはようございます(*^^*) 昨夜は介護のセミナー... 続きをみる
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11年前の投稿。 体調を崩した父を入院させるか否かで主治医と話し合いをしましたが、私と母は迷わず在宅での治療を選択。 在宅介護が始まってから10年は経っていますが、本当に寝たきりの状態になってからはまだそれほど経ってはおらず、いろいろ不安でいっぱいでした。 点滴の調整もオドオドしながら。 ... 続きをみる
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6年前の今日は、二度投稿していました。 自宅にずっといて父に付き添っていたわけですが、四六時中ずっと父を看ているわけでもないので、時間的余裕があったからでしょうね。 この頃は父の体から出る痰も耳垢も💩もすべて愛おしくて、健康チェックのためにギリギリまで顔を近づけて(ド近眼なので🧐)観察して... 続きをみる
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まだ【介護日記】のタイトルがない頃です。 誤嚥性肺炎を発症した父が、2度めの入院……というか、前回の入院からすぐに再入院となってしまい、ようやくちゃんと退院ができたときです。 いよいよステージの上がった「在宅介護」の始まりの頃。 不安で不安でたまらなかった時です。 ↓ 2013... 続きをみる
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この時、父は体調がよくなかったんですね。 熱を出した後の日の投稿です。 そしてこの頃、私は父の嚥下リハに必死でした。 母はまた誤嚥性肺炎を起こしたらかわいそうと消極的でしたが、私は口から食べる楽しみを完全に奪いたくなかった。 固形物は無理でも、大好きなかき氷ならと思って、できるだけ時間を作って... 続きをみる
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ちょっと今日は疲れてしまったので、振り返りはパスして過去の投稿をまんま掲載。 だけど読み返すと父の衰えるさまを思い出して切なくなりました(T-T) ↓ 【介護日記】2018年7月10日 冷房が苦手な父と母も、この暑さでは日中は冷房を使わないわけにはいきません。 だけど終日冷房をつけっ... 続きをみる
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毎年暑くなると熱中症対策に気が抜けません。 胃ろうになってからはやたらに飲ませられないので(寝たままでは逆流して危険、胃ろうから水分入れたらしばらく上体起こしてなくてはならない)、水分不足になる前に対応するようにしていました。 体調が悪いと入浴スタッフさんはやはり中止をしがちですが、汗で湿った... 続きをみる
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この頃は普通に手洗いうがいをしたら軽い気持ちで父のそばへ近寄れたけど、当時コロナ禍になっていたらそうはいかなかったでしょうね。 身近にも高齢の親御さんに会えないと嘆いている人がたくさんいました。 マスクなし、行動規制なしと、いろいろ緩和されてきたけれど、もう第9波だっていうし。 気をつけな... 続きをみる
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若い頃は海外旅行が好きでした。 ネパールやモンゴルに行くと言ったときには両親に心配をかけていたんだな、と今になって思います(笑) 読む本も旅…特にアジアに関するものが多かったです(「深夜特急」は宝物!)。 バックパッカーになる度胸はなかったので、本の中で大胆な個人旅行をしていました。 実際には... 続きをみる
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笑いは病気を撃退します。 そして何より肺活量がアップして血液中の酸素濃度が増えるから、暇さえあれば私は父を笑わそうと試みていました。 子供じみたゴリラのマネやブタのマネでも父は「バッキャロー💢(笑)女の子がみっともねえぞっ!🤣」って。父の中では私はお年頃の女の子❤️(笑) 父のために芸人になれ... 続きをみる
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最初は家族で必死に家風呂に風呂用車イスで父を運び、シャワー浴をさせていましたが、いつまで続くかわからない重労働(いつまでも続いてほしいんだけどね、体力的には限界)なので、ほどなくして訪問入浴サービスを利用するようになったわが家。 最初の頃こそ父は恥ずかしがったり嫌がったりしていましたが、この頃には... 続きをみる
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父のシモの世話は何てことありません。私らにとっては。 でも、はたして父はどうだろうかとよく考えてしまいました。 家族以外がオムツ交換をすると嫌がります。 でも、私と母が必ずしも二人いる時にお通じがあるとは限らないし、私らも腰の具合が良くないときは訪問介護のスタッフさんに手伝ってもらったことも。 「... 続きをみる
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2015年。この頃は在宅介護とはいえ、母と二人三脚ということもあって、私も仕事終わりに出かけることも(ほとんどが介護に関する勉強会でしたが)ありました。 玄関を入ってすぐのところに父の寝ている部屋があるので、私は帰りが遅いときは(皆さんそうでしょうが)抜き足差し足忍び足……で、そぉ~っと自室に行こ... 続きをみる
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父は元々柔道をやっていたからでしょうか、半身マヒになってからも体幹がしっかりしているとよく言われました。 だから動くほうの腕っぷしの強さは現役そのもの👊 それも利き手じゃないほうなのに。 この暴れん坊の父も、やっぱり大切な私のお父さん❤️ ↓ 【介護日記】2018年6月29日 久... 続きをみる
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在宅介護にはマニュアルもルールもありません。 要介護者……わが家の場合は父ですが、父が快適ならそれでよし👍️ 介助の際に、マヒ側をどーのこーのとか教本にはあるようですが、父はそれと正反対のほうが父本人も私たちもラクでした。 で、この日もマイルールでやりたい放題(笑) 家の中で好き勝手に振る舞... 続きをみる
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身体の大きい父のオムツ交換は、慣れるまでは2人がかりでやっとこさっとこでした。 でも、慣れるとひとりで難なくこなせるように。 しかし、この日のようにウ○コのついた手を振り回して指揮をとるのは、いくら父の命令とはいえちょっと無理~🙅 でも、本来「ミソもクソも一緒🤣」 これくらいの心持ちでいるのが... 続きをみる
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私が【介護日記】を綴っていたSNSは「過去のこの日」があって、過去の同日を振り返ることができます。 だから今日は振り返りの振り返り。ダブル振り返りです。 3段階の振り返り。 年月の経過とともに、「あんなことあったな~」とある程度余裕を持って客観的に己を見ることができるようになってきたと思いますが、... 続きをみる
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私A型、母B型。 性格まったく正反対。 だから介護ではお互いのやり方に納得がいかず、よく衝突しました。 どっちも父のためによかれと思っての愛ある争いなんですけど、母娘だから遠慮なくてすごいバトルになることも。 その度に父は悲しそうな顔をしていました。 今でも父に申し訳ないことをしたと反省しています... 続きをみる
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父の在宅介護は母と一緒にやっていました。 母はすごくて、自営業を営んでいた父が突然倒れて、介護をしながら仕事を父の分もこなし、それなのにちっとも弱音を吐かない(ひとりで苦しみを抱えていたとは思います。最近になって告白し出していますから)。 そして母の父を見る観察力のすごさったらありません。 ど... 続きをみる
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今年は同日が水曜日なので「あれれ?」と一瞬思ってしまいましたが、曜日で決まる記念日は年によって日が変わりますね。うん(笑) 仕事の合間の休憩中に父の日の話が出てきたものだから、なんかウルウルしちゃう振り返りです。 介護の最初の頃は、爪を切ってあげた後、父は自分で指と指を擦り合わせて、引っ掛... 続きをみる
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この日は父に申し訳ないことをしてしまいました。 父のオムツ交換はマメにしていたのに、仕方なかったとはいえ、汚物で皮膚がただれてしまいました。 東日本大震災のときの恐怖はいつまでたっても薄れることはなく、ちょっとしたことからフラッシュバックしてしまいます。 父のオムツかぶれで被災地にいた父と同... 続きをみる
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明後日は父の日。その前日になりますが、明日父のお墓参りに行く予定です。 そんなときに四十九日の投稿を見つけました。 幼稚園生の頃、母の日に折り紙で赤いカーネーションを作る中、お母さんのいない子は白いカーネーションを作らされていたけど、あれってすごい残酷な差別だと今更ながら思います。 父の日... 続きをみる
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最近出番が多い、10年前の入院生活の振り返りです。 医療従事者のことを悪く言うつもりはないけれど、現に被害をこうむりましたからね。未遂だけど。 肺炎で入院、しかも要介護の高齢者。どんだけ体調の変化が起こるかわかりません。 それなのに、「さっき測りましたから」という検温をまんま信じて、たった今、... 続きをみる
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ここのところ2013年の振り返りが多いでしょうか? 【介護日記】というより【入院付き添い日記】といったほうがよろしいかな。 父にはなるべく自宅に近い生活を(錯覚であっても)させてあげたいと思いつつ、私のほうはある意味非日常の生活をできるだけ楽しむようにして自身のメンタルを維持していました。 セ... 続きをみる
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また時系列飛んでしまいましたが、2013年、父が入院中の投稿です。 私自身の寝床も作らなくてはならず、建物の構造上部屋の角に柱の出っ張りがあって簡易ベッドを置くスペースを確保するのに難儀しました。 以前、父が脳内出血を発症して手術をし、その後リハビリの病院に転院して入院していたときは、比較... 続きをみる
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この時期は毎年胃ろう交換の投稿になっていますね。 続けて読むと、一昨日の投稿と内容ほぼ被り(笑) 胃ろうの交換=手術という思いがあるから、心配で心配で💦 だけどある時、訪問入浴の際に看護師さんが「ピアス開けるぐらいに思って大丈夫ですよ。抜けたらすぐに孔が塞がっちゃうくらいですから」 おぉ!そう考... 続きをみる
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一昨日は予約していた胃ろう交換のキャンセルをした投稿を振り返りました。 今日はそれより1年前の胃ろう交換の日の振り返りです。 最後に「1年後も父がいてくれることを祈る」と綴っていますが、それは残念ながら叶いませんでした。 いつかは訪れる「その時」ですが、なかなか真実味がわかず、父は永遠に私と共... 続きをみる
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寝たきりになってからの父は、最初の頃こそ出る前に訴えてきたので、尿瓶で取ることができました。 やがて尿意を訴えることがなくなってからは、マメにパッド交換。 よく「○回分のオシッコを吸収」と説明書きにありますが、やはりアンモニアが付いたまま長時間置きたくない。 時間を決めていたわけではないけ... 続きをみる
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父を見送ってから約1か月後。 なんだか体に力が入らないような。 だけどボーッとしている時間はないと、母も私も馬力全開でこの日まで過ごしていました。 今でもこの時のことをたまに振り返りますが、悲しいはずなのにドタバタ満載で笑いも盛りだくさんでした。 ↓ 【介護回顧録】2019年6月5... 続きをみる
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父は高齢者特有のシミとかできず、最期まで色白の美肌でした(笑) それは娘の私によるフェイスケアの賜物……なんつって!(笑) 私は若い頃、業界最大手のエステサロンに勤務していたこともあり(本社勤務だったので現場は知りませんが)、エステティシャンの研修を見よう見まねで父にも施していました。 ... 続きをみる
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10年前のこの日は3連投稿でした。 父の入院がどれだけ長引くかわからないので、住み着く(笑)覚悟を決めたようです。 ちょうど仕事のことで雇用側と揉めていて、我慢の限界でキレた私は辞めることを選択。 介護離職ではないけれど、時期的に辞めたことで介護に専念するのは私が中心になり、これは後々反省すべ... 続きをみる
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父が亡くなる前から参加表明をしていた特別な勉強会。 素人の私を、一緒に在宅医療を学ぶ仲間としてドクターやナースの方々が受け入れてくださり、参加の機会をいただきました。 もう介護が終わった私なのに……と悩みながらも、父が亡くなったから介護を終える必要はないんだ、誰彼関係なく、介護を必要としている... 続きをみる
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10年前、父は入院中でした。 私は病院から仕事へ行く日々でした。 私が病室を出るとき、父は悲しそうな顔をするから、後ろ髪を引かれる思いで仕事に行っていました。 病室を出たらナースステーションに立ち寄り、「父のことお願いします」と、看護師さんを脅し…いや、お願いをして(笑) ↓ 【介護日記... 続きをみる
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父との別れ以来、涙が出ない日はありませんでした。 今でも……。 悲しいだけの涙じゃないんですよね。 幸せだった頃を思い出したり、小さい頃にヒョイと軽々抱っこしてもらったたくましさを思い出したり。 嬉しくても泣けてくるんです。 だからブログのタイトルにも「泣き虫」がついています(笑) ... 続きをみる
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私は父の爪切り係でした。 今でも自分の爪が伸びると、父のケアをしていたときのことを懐かしく思います。 湯灌の時も最期の爪のケアをさせてもらいました。 生前の父の手の温もりと、湯灌をした時の冷たさ、どちらの感触もしっかり覚えています。 ↓ 【介護日記】2016年5月28日 仕事が休み... 続きをみる
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父を看取って3週間の頃。 なんだかハイテンションです。 泣いて笑って感情の変動がすごい目まぐるしい頃でした。 でも、職場では普通に仕事してたし、忙しくすることで心をコントロールしてたのかな。 あっ! 断捨離はまだなぜか続いています(笑) どんだけモノがあったんだろうって(笑) ↓ 【... 続きをみる
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10年前の投稿再び。 入院中だったんですね。 でも、なんだか私も穏やかな気持ちのよう。 父の介護&入院といえど、まったり気分も時には味わえます。 ささやかな幸せ😃💕 ↓ 【介護日記】2013年5月25日 おはようございます。 父は一晩中絶好調(?)で、夜通し「おい!」とか「よぉ!... 続きをみる
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今日は2015年の1コマです。 誤嚥性肺炎にすごく過敏になっていて、とにかく父の口腔ケアを鬼のようにしていました。 いろんな製品を片っ端から試し、かなり散財もしましたが、結局のところオーソドックスに細かく念入りに歯ブラシで磨くのが一番だということに落ち着きました。 幸い、母と二人体制でできたので、... 続きをみる
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在宅介護中、父は週2回訪問入浴を利用していました。 在宅介護を始めた頃は、家族がベッドの上でシャンプーをしたり、おシモを洗ったり。 それだと全身は洗えないので、そのうちお風呂用の車椅子を購入し、母と私と妹で父の体を隅から隅まで洗いました。 しかし、私たちで父を湯船につからせてあげることはできません... 続きをみる
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また父が亡くなった後の【介護回顧録】に戻ります。時系列メチャクチャで申し訳ありません。 父は亡くなってからもずっと一緒にいてくれるんだということを感じるエピソードです。 肉体がないから時空間を超えてあちこちに出没。 まるで夢の国のキャラクターのようです(笑)←余談ですが、あのキャラクターたちは世界... 続きをみる
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久しぶりに在宅介護の普通の日常(?)の投稿です。 ふざけているようでも、父に対しての敬意は忘れていないつもりです。 介護がしんどいかそうでないかは、考え方次第だと思います。 うまく父の波動に乗ることで、こっちもテンポを合わせていき、ニコニコ介護ができるのです。 たまに体に痛み(父のパンチ👊)が走... 続きをみる
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いきなり10年前の振り返りになりました。 この頃はまだ【介護日記】というタイトルはつけておらず、介護ネタの投稿はほんの少しでした。 この10年前がある意味では介護のターニングポイントだったかもしれません。 明日は何年前の投稿の振り返りになるかしら? ↓ 2013年5月19日 久... 続きをみる
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訪問診療の日は、いつもスリリングでした。 父の体調が悪いときはもちろん心強い存在の主治医の先生でしたが、それ以外の時は笑える笑える🤣🤣🤣 父が亡くなってからはもうお会いすることはありません。あれから4年経ちました。最後にご挨拶に伺ったときに「四十九日を過ぎたら自分のことを最優先にしてくだ... 続きをみる
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父が亡くなった翌日には、ほとんどのものを片づけてしまった母。 もういない父のオムツや歯ブラシをいつまでもとっておいても仕方ないというのはわかりますが、あまりにも早すぎて笑うしかありませんでした。 そして母は今も毎日何かしら捨てています(笑) 自分が死んだときに残された娘の私が困らないようにという親... 続きをみる
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習慣とは恐ろしいもので、19年の介護生活で「父を絶対ひとりにしない」という強い思いが心に根付き、毎日ソッコーで帰宅するようになりました。 たまに介護の勉強会&懇親会(という名の飲み会🍻🤣)で遅くなるときもありましたが、それは母が絶対にいるという確約があってのこと。 母も父の介護をするよ... 続きをみる