10年前、父は入院中でした。 私は病院から仕事へ行く日々でした。 私が病室を出るとき、父は悲しそうな顔をするから、後ろ髪を引かれる思いで仕事に行っていました。 病室を出たらナースステーションに立ち寄り、「父のことお願いします」と、看護師さんを脅し…いや、お願いをして(笑) ↓ 【介護日記... 続きをみる
2023年5月のブログ記事
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父との別れ以来、涙が出ない日はありませんでした。 今でも……。 悲しいだけの涙じゃないんですよね。 幸せだった頃を思い出したり、小さい頃にヒョイと軽々抱っこしてもらったたくましさを思い出したり。 嬉しくても泣けてくるんです。 だからブログのタイトルにも「泣き虫」がついています(笑) ... 続きをみる
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私は父の爪切り係でした。 今でも自分の爪が伸びると、父のケアをしていたときのことを懐かしく思います。 湯灌の時も最期の爪のケアをさせてもらいました。 生前の父の手の温もりと、湯灌をした時の冷たさ、どちらの感触もしっかり覚えています。 ↓ 【介護日記】2016年5月28日 仕事が休み... 続きをみる
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父を看取って3週間の頃。 なんだかハイテンションです。 泣いて笑って感情の変動がすごい目まぐるしい頃でした。 でも、職場では普通に仕事してたし、忙しくすることで心をコントロールしてたのかな。 あっ! 断捨離はまだなぜか続いています(笑) どんだけモノがあったんだろうって(笑) ↓ 【... 続きをみる
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10年前の投稿再び。 入院中だったんですね。 でも、なんだか私も穏やかな気持ちのよう。 父の介護&入院といえど、まったり気分も時には味わえます。 ささやかな幸せ😃💕 ↓ 【介護日記】2013年5月25日 おはようございます。 父は一晩中絶好調(?)で、夜通し「おい!」とか「よぉ!... 続きをみる
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今日は2015年の1コマです。 誤嚥性肺炎にすごく過敏になっていて、とにかく父の口腔ケアを鬼のようにしていました。 いろんな製品を片っ端から試し、かなり散財もしましたが、結局のところオーソドックスに細かく念入りに歯ブラシで磨くのが一番だということに落ち着きました。 幸い、母と二人体制でできたので、... 続きをみる
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在宅介護中、父は週2回訪問入浴を利用していました。 在宅介護を始めた頃は、家族がベッドの上でシャンプーをしたり、おシモを洗ったり。 それだと全身は洗えないので、そのうちお風呂用の車椅子を購入し、母と私と妹で父の体を隅から隅まで洗いました。 しかし、私たちで父を湯船につからせてあげることはできません... 続きをみる
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また父が亡くなった後の【介護回顧録】に戻ります。時系列メチャクチャで申し訳ありません。 父は亡くなってからもずっと一緒にいてくれるんだということを感じるエピソードです。 肉体がないから時空間を超えてあちこちに出没。 まるで夢の国のキャラクターのようです(笑)←余談ですが、あのキャラクターたちは世界... 続きをみる
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久しぶりに在宅介護の普通の日常(?)の投稿です。 ふざけているようでも、父に対しての敬意は忘れていないつもりです。 介護がしんどいかそうでないかは、考え方次第だと思います。 うまく父の波動に乗ることで、こっちもテンポを合わせていき、ニコニコ介護ができるのです。 たまに体に痛み(父のパンチ👊)が走... 続きをみる
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いきなり10年前の振り返りになりました。 この頃はまだ【介護日記】というタイトルはつけておらず、介護ネタの投稿はほんの少しでした。 この10年前がある意味では介護のターニングポイントだったかもしれません。 明日は何年前の投稿の振り返りになるかしら? ↓ 2013年5月19日 久... 続きをみる
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訪問診療の日は、いつもスリリングでした。 父の体調が悪いときはもちろん心強い存在の主治医の先生でしたが、それ以外の時は笑える笑える🤣🤣🤣 父が亡くなってからはもうお会いすることはありません。あれから4年経ちました。最後にご挨拶に伺ったときに「四十九日を過ぎたら自分のことを最優先にしてくだ... 続きをみる
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父が亡くなった翌日には、ほとんどのものを片づけてしまった母。 もういない父のオムツや歯ブラシをいつまでもとっておいても仕方ないというのはわかりますが、あまりにも早すぎて笑うしかありませんでした。 そして母は今も毎日何かしら捨てています(笑) 自分が死んだときに残された娘の私が困らないようにという親... 続きをみる
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習慣とは恐ろしいもので、19年の介護生活で「父を絶対ひとりにしない」という強い思いが心に根付き、毎日ソッコーで帰宅するようになりました。 たまに介護の勉強会&懇親会(という名の飲み会🍻🤣)で遅くなるときもありましたが、それは母が絶対にいるという確約があってのこと。 母も父の介護をするよ... 続きをみる
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父がいなくなってから始まった母との二人暮らし。今までは父を介護する「チーム·お父さん」で「同志」だったけど、その父というタガがはずれたものだから、まぁ好き勝手になって忙しない毎日となりました(笑) ↓ 【介護回顧録】2019年5月14日 ※父の話題がちょっとでもあれば、介護ネタじゃなく... 続きをみる
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3-1=2 …… この「1」、父の占める割合がどれだけ大きかったか! 父は寡黙で私と母がうるさかったはずなのに、寡黙な父がいなくなって何で静まり返っちゃうの?って。 でも、やっぱり未だに寂しいです。 来年もう七回忌だというのに、年を取ってからファザコンになった私は涙がポロポロ。 仕事中は気が張... 続きをみる
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【介護日記】とか【介護回顧録】とかのタイトルもなく、自分のしょーもないことを投稿していました🤣 斎場で食欲旺盛だったんです(笑) たぶん、食いしん坊だった父が、私の肉体を使って食べたんだ……と思いたい💦 つらくても悲しくても、食欲があれば大丈夫💪 いま、メンタル病んでいて心からそう思いま... 続きをみる
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レンタルしていた父のベッドを片づけていて、シーツをめくったら背中部分にシミが😭 父がどれほど過酷な20年を生きてきたのかあらためて思い知らされ、胸が苦しくなりました。 精いっぱい尽くしてきた自負はあるんだけど、目の前に事実(シミ)を突きつけられ、父に詫びるとともに、頑張って生きてくれてありがとう... 続きをみる
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愛する人が亡くなった後、気持ちの整理がつかなくてなかなか荷物を片付けられないという話をよく聞きますが、私と母は違った!(笑) 大事なのは“父本人”であって、父の“モノ”には執着がありませんでした。 父の柔道着なんて興味なかったし🥋(笑) 長年着ていた肌着も、着る当事者がいなくなったらとっ... 続きをみる
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諸々の式次第を終え、お骨になった父と過ごす日々。 介護をやりきり、父も眠るように旅立ったせいか、家の中には悲しい雰囲気はゼロ。不思議な隙間は感じますが。 この日はハイテンションだけど、この後感情の波が日によって異なり、「寂しくない」「寂しい」が代わる代わるやってきて自分でもどうなっているんだかわか... 続きをみる
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2019年5月7日の【介護日記】あらため【見送りレポート】あらため……
【介護日記】から【見送りレポート】に変わり、さらにタイトル変更(笑) この日は告別式でした。 当時、ものすごいハイテンションでいたのがわかります。おかげで自分のしでかしたこと(?)が記録されているわけですから。 記録がなかったら、きっと何も覚えていなかったと思います。 あの時の自分が書き残してくれ... 続きをみる
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2019年5月6日の【介護日記】あらため【見送りレポート】からから
父は自宅から斎場へ移され、私たちと離れての一晩。 わずか一晩の別れがとても寂しかった(涙) これからは(肉体とは)永遠の別れが待っているのに(T-T) だから少しでも離れたくなくて、通夜の日にはずっと父と過ごしました。一晩斎場の隣にある家族待合室に泊まり込み、ダイレクトに父の棺に行けるので、何... 続きをみる
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2019年の昨日、旅立った父。 翌日からはやること満載でしたが、気持ちにも時間にも余裕があり、穏やかな気持ちで父のあの世への旅立ちの準備をしました。 とはいってもこの日はまだ父の体は家のベッドに寝ていて、訃報を聞いて駆けつけた妹一家や義妹と姪っ子、父や母の兄弟が父に挨拶をしました。 葬儀社へ運ばれ... 続きをみる
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今日は父の命日。朝からお詣りに行ってきました。 毎回月命日当日に行くというのは難しいですが、父が亡くなってからは毎月一度は欠かさずに詣っています。 もう【介護日記】じゃありませんが、父を偲んで振り返り❤️ 今日も過去の投稿と同様、柏餅とコーラをお供えに持って行きました。 それと母が作った塩むす... 続きをみる
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令和最初の日でしたね。 この日は父が熱を出していましたが、私たちがジタバタしたって父の熱が下がるわけじゃないと己に言い聞かせ、いつも通りの介護をしていました。 そんなに重篤だと思っていなかったんだけどね。だから投稿内容もそんなに深刻じゃなかったんだけどね。 まさかね……。 ↓ 【... 続きをみる