2013年8月15日の【介護日記】から
毎年、この時期になると必ず振り返る父の「ものがたり」。
戦争の最前線ではない、銃後を守る女とともに戦争を戦い抜いた子ども(父)の実体験です。
「クスッ」と笑って話せる時もありましたが、要介護状態になってからの父は、この話をすると「エーン!」と子どものように泣きじゃくるようになりました。
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【介護日記】…というか父の“ものがたり”その1
2013年8月15日
昭和11年生まれの私の父は、終戦当時は小学生。食べざかりでしたから、父から聞く戦争体験の話は食べ物にまつわることばかり。
父の小学生の頃の担任の先生は女性で、出産したばかりだったため、乳飲み子を職場である学校まで連れて来て、教室に寝かせていたそうです。
食糧難であっても赤ちゃんには牛乳の配給があり、お腹を空かせた父はある時ガマンできなくて、その赤ちゃんの分の牛乳を飲んでしまったそうです。
すっごい勢いで先生に怒られたそうですが、当然ですよね。
またある時、ガキ大将だった父は、子分の一人だった魚屋のせがれに、店からかまぼこをかっぱらってこいと命令したそうな。
子分が持ってきたかまぼこにその場で齧りついたそうですが、息子のあとをつけてきた魚屋のおばさん(子分のお母さん)に見つかり、これまたこっぴどく叱られたとか。
怒鳴られた瞬間、大きな口でかまぼこをくわえていたんですから、その光景を想像すると、今となってはちょっと笑えます。
どちらも悪いことではありますが、食糧難の時代、子どもたちがどれだけお腹を空かせていたかと想像するだけで涙が出てきます。
前線で砲弾が飛び交って云々は、考えなくてはいけないことだけれど、イマイチ実感がわきません。
でも、空腹の辛さは今の私でも容易に想像できます。
今日も父に「お父さん、子どもの頃かまぼこかっぱらって怒られたんだよねー」と話を蒸し返すと、ニヤッと照れ笑い。
積極的に戦争体験を話してくれることはなくなりましたが、その分私のほうから過去に聞いた話を再度問いかけることで、父のアタマはいくらかクリアになってくれるようです。
戦争の話は決して楽しいものではないけれど、生きるために必死になっていた状況を聞くと、ヘタレの自分を奮い立たせなくちゃと思わされます。