泣き虫 笑福(わらふく)の在宅介護回顧録

約19年にわたって父を在宅介護してきた時に某SNSに綴っていた「介護日記」の振り返りです。

2019年5月16日の【介護回顧録】から

父が亡くなった翌日には、ほとんどのものを片づけてしまった母。

もういない父のオムツや歯ブラシをいつまでもとっておいても仕方ないというのはわかりますが、あまりにも早すぎて笑うしかありませんでした。

そして母は今も毎日何かしら捨てています(笑)

自分が死んだときに残された娘の私が困らないようにという親心らしいのですが、写真も遺影用の(奇跡の一枚を自分でチョイス済🤣)以外はすべてアルバムごと捨ててしまっています。

…いつか来るであろう母との別れの後、母を偲ぶものがないんですけど(^_^;)

 

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【介護回顧録】2019年5月16日

 

四十九日もまだだというのに、わが家には父のモノといえる品がもうほとんどない( ̄▽ ̄;)

断捨離魔の母の仕業です(笑)


私もどちらかというと“モノ”には執着しないほうではあるけれど、やっぱり父の形見らしきものはちょっと欲しい気持ちに。。(〃_ _)σ∥


ところが、「何もないわよ」と母。

!!(゜ロ゜ノ)ノ

父が倒れて要介護状態になった19年前の時点で、もうこれまでのような生活には戻れないと覚悟を決めた母、父本人の承諾なしに(判断できない状態だったから仕方ない😅)、父の趣味だった骨董品は売り払い(価値があったかどうか超微妙。私らにとっては単なるガラクタ🤣)、定期講読していた相撲と柔道関係の雑誌のバックナンバーは仲間に譲り、父のスーツ(オーダーメイドで内側に苗字の刺繍入り)は父の兄弟や友人に着てもらいました。

それ以外の下着やジャージなども不自由になった体に合わせてリメイクし、それでも着られないものは迷わず処分。

ガレージの一部を占拠していたベンチプレス等のトレーニングマシンもあげたり捨てたり。

飲食店並みにあった冷蔵庫や冷凍庫も、一般家庭の常識の範疇であろう1台を残して廃棄。

生活回りをシンプルにすることで余計なことへの気配りを排除し、母は自分の生活のすべてを父のために捧げました。

ついでに自分自身の終活も始めちゃったものだから、今でも現在進行形でわが家からはどんどん、どんどんモノが消えています。襖を取っ払いカーテンも捨て、部屋の電気が裸電球になったときにはさすがにまいったが💦

…とまあ、ここまではいい。父が亡くなってから☝️これだけのモノを整理するのは確かにしんどいと思います。あのときより今は歳もとっているわけだし。

私も手伝いはできるけど、仕分けは母にしかできないしね。


だけど、そんな母のやり方に納得しつつも父のモノが何もないことで悲しい気持ちになっていたら……。

「パールのタイピンとイヤリングがある」

キャ~(*≧∀≦*) それをもらえるのかな?o(^o^)o

「昔、ミキモトでお父さんが“お母さんに”買ってくれたの❤️」

チッ(-""-;) 自慢かい? あくまでも自分のものだと主張する母(笑)

「使ってもいいけど~」

使ってもいいけど私に譲ってくれるわけではないようで、とりあえず保管場所は教えてくれました🤣🤣🤣

これが一昨日の話。

そして昨夜、帰宅した私に母が

「お父さんの免許証があったよ」


ケースを開いてみたら、最後に更新した、当然だが期限切れの免許証とともに、ボロボロになった子供の頃の私からの手紙がはさまっていました。触るだけでボロボロ崩れるほど劣化しています💦

きったない字(笑)

少しだけ漢字を書いているから、私は小学1年生くらいかな?

妹と弟の名前も連名で私が書いているので、彼らはまだ字が書けない年齢。

「おとうさんありがとう」と書いてあるから、おそらく父の日に書いたものだと思います。

「お父さんだぁいすき」と書いてある。

「長生きしてね」と書いてある。

半世紀近くも前に自分が書いた手紙を読んで、昨夜は父の遺影の前で泣き笑い。

倒れるまで免許証と一緒に、ずっと肌身離さず持っていてくれた事実を知りました。

これが私にとっての父の形見となりました。

妹のロレックスや母のミキモトパールとずいぶん差があるような気がしないでもないが🤣🤣🤣


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