2016年9月8日の【介護日記】から
この日は厳密には【介護日記】ではありませんが……。
とあるご縁から、医療介護従事者の方々が学ぶセミナーに参加させていただくようになりました。
専門職向けのセミナーなので、正直内容はほとんどわからない(笑)
でも、わからないということをわかることが、私にとっては収穫でした。
このような勉強会を知らなかったら、何も知らないまま、父が弱っていくのを何もせずに見ているだけしかできませんでした。
積極的な介護もできませんでした。
父が亡くなってからも、この縁を大切に学びは続けるつもりだったのですが、父の死とは関係のないことでPTSDを発症してメンタルを病んでしまい、残念ながら現在は遠ざかってしまっています。
でも、そこで知り合った方の中には、いまの私を心配してくれて気にかけてくれる人もいて。
父が導いてくれた素敵なご縁です。
父に感謝!
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【介護日記・番外編】2016年9月8日
昨日9月7日の在宅医療カレッジは【高齢者の誤嚥性肺炎と摂食嚥下機能】。
今回は参加するにあたってかなり迷いました。テーマがテーマだけに……。
とても重要な関心のあるテーマですが、私の父に関してはもう間に合わないしな~今さらな~という思いが正直ありました(-_-;)
でも、無知ほど罪なことはありません。私は過去にそれで懲りています。一般人とて日進月歩の医学常識を知る必要性を実感しているつもりです。
とはいえ、お話しの最初はやっぱり辛かったです。聞けば聞くほど辛くなり、涙が出てきました。
あと3年早く聴きたかった……( ノД`)…
父が誤嚥性肺炎になった時には、禁食がよくないなんて知りませんでした。…っていうか、病院のドクターに言われるがまま……これでも当時は従順な素直な患者家族でした(ノ≧ڡ≦)
誤嚥性肺炎で3年前から経口摂取ができなくなった父、やはり入院中に禁食を指示されて鼻からチューブをぶら下げての退院でした。
あの時のショックは今でも忘れられません。
在宅介護に戻ってからも月に1度のチューブ交換で辛い思いをさせ、自分でチューブを抜かないように動く方の手はベッドの柵に縛り付けていました。
この時点では、再び口から食べさせることは諦めていましたし、私たち介護する側も、食べさせたいとは思ってもそれを実行に移すことなど考えてもみませんでした。
しかしその後、いろいろな学びの場に参加させてもらって再び口から食べさせたいという思いが芽生え、食べさせるために胃ろうを造設。
胃ろう完全否定派だった自分の気持ちを切り替えることは容易ではありませんでしたし、私以上に胃ろうに否定的だった母の説得にもかなりの時間を要しました。
そこから嚥下リハを実施するまで、さらに母への説得は続きました。
ようやくそれも納得させることができ、主治医にも相談して歯科も嚥下リハを行ってくれるところに変え、しばらく嚥下リハを行いました。その甲斐あって父はアイスやかき氷を食べられるようになり、今年の猛暑も乗りきってくれました。
でも、徐々に消化器系の衰えが現れてきたことから、少し前からは積極的な嚥下リハや過剰な栄養&水分の投与は控えることにしました。父の体調と気分次第でテキトーにやっています。お休みのほうが多くなってきちゃいましたが…(-_-;)
セミナー終了後、学長の町亞聖さんに「私は父には(禁食にしないで食べさせることが)できなかった」とこぼしたら、「これからよ! だからできなかったなんて思うことない!」と言われ、どんどん涙が溢れてきてしまいました。
うん…これからですね。これからは不必要な禁食を強いられたがために、その後食べることが難しくなる人がいなくなるようになってほしいです。
もし今、私の父が誤嚥性肺炎になってしまったとしたら、どうしたって主治医の指示に従って禁食にせざるを得ないと思います。こうやって勉強していても。
私自身が学んだことを引っ提げ、いろいろな提案や相談をしてきて、主治医はこちらの思いをかなり尊重してくれています。しかし私は所詮素人、さすがにこの件に関しては主治医に従わざるを得ません。
主治医のやり方が気に入らなければその主治医を変えるという方法もあるのでしょうが、すでに肺炎を起こしている段階でそんなことをやっていたら、新しい主治医が決まる前に父は死んでしまうかもしれません。
禁食にしないことが早く一般的な見解になってくれることを願います。
同時に、どうしても禁食せざるを得ない人のことも忘れないでいただきたいです。
父にしてあげられることはどんどん少なくなってきているけれど、今回学んだ中の口腔ケアや首・口の筋力アップはまだまだできます。ずーっとできますっ!(* ̄∇ ̄)ノ
それで時々、父が望めば冬でもかき氷を食べさせたいです(昔から真冬でもかき氷を食べるのが好きでした)。
命はいつかは終わるけれど、その終わりの原因を苦しい誤嚥性肺炎にはしたくないと思っています。最期まで苦しむことなく穏やかに、木が枯れる如く…あるいはロウソクの芯が燃え尽きるかのように…と。
なので、父の顔を見るために、懇親会は失礼して大急ぎで帰宅。
帰宅した時には眠っていたけれど、私の気配で目を覚ましてくれました。
そこから……(* ̄ー ̄)ニヤリ
もう遅い時間だったけれど、歌ってしゃべって笑わせて🎵……筋トレ(笑)
最終章に突入した父の介護。栄養&水分は内臓への負担を考えて減らしましたが、ケアを減らすつもりはありません。目を閉じたり眠っている時間が増えてしまった分、起きている間はしつこいくらいにちょっかいを出しています。ある意味シゴキ(笑)⬅無理はさせたくないと言っているくせに(^艸^)
時々本気で怒って本気の「バッキャロー💢」が出てパンチ👊をくらうけど(^o^;)、殴る元気があることが嬉しいです。
前田先生、戸原先生、ありがとうございました。
あっ! どこでもドアで鹿児島から帰京した佐々木先生、いつもありがとうございます(* ̄∇ ̄)ノ