2019年5月18日の【介護回顧録】から
訪問診療の日は、いつもスリリングでした。
父の体調が悪いときはもちろん心強い存在の主治医の先生でしたが、それ以外の時は笑える笑える🤣🤣🤣
父が亡くなってからはもうお会いすることはありません。あれから4年経ちました。最後にご挨拶に伺ったときに「四十九日を過ぎたら自分のことを最優先にしてください」と言っていただきましたが、まだ父のことを真っ先に考えてしまうファザコン娘です。アラ還なのに(笑)
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【介護回顧録】2019年5月18日
今日は父が最期までお世話になった主治医のクリニックを訪問しました。
先生への挨拶と最後の精算のために。外来も訪問診療も行っていてかなり多忙な先生なのですが、診察の合間に時間をいただきました。
この先生にお世話になったのは、在宅介護が始まってから2年が経過した頃から。
それまでは脳内出血の緊急手術を受けた脳神経外科に数か月ごとに通っていました。
予約しているとはいえ外来では長時間待たなければならないし、家からも遠い。それに車イスに座りっぱなしでは父の体への負担も心配でした。
2年も経った頃に上記の困り事を相談したら、症状が落ち着いてきたので以降は訪問診療に切り替えても大丈夫とのことで、ケアマネージャーを通じてこの先生をご紹介いただきました。
ところが17年もお世話になったのに、父はついぞ先生のことを医師と認めませんでした🤣
いつも帰った後に「さっきの坊やは誰だ?」……( ̄▽ ̄;)
おそらく現在四十代の先生、どちらかというと童顔なので、父にとっては「よそのお宅の坊や」だったようです🤣🤣🤣
先生が父の顔を見て声をかければ
「バッキャロー(#`皿´)」……💦
注射をすれば💉
「痛いじゃねぇかっ!💢
テメエはナニしやがるんだ!(*`Д´)ノ!!」
「(大声で怒鳴るので)元気ですね!」と言えば
「余計なお世話だ!o(゜ぺ)○☆ドカッ」←先生はうまくパンチをかわす(笑)
まぁまぁ、毎回スリリングな診察でしたね🤣🤣🤣
でも、体調を崩せば時間に関係なく来てくれ、訪問しない場合も電話で様子伺いや指示を出してくれ、私たちは心強かったです。
父はたくさんいる患者のひとりに過ぎませんから、別れをいつまでも惜しむなんてことは他の患者さんの手前遠慮しましたが、
「奥さんと娘さんが大切にお世話したからここまでお父さんさんは頑張れたんですよ。
普通、ここまで(生きて)いられませんよ。
私の出る幕なかったですよ」
と言ってくださいました。
すると、隣で診察していた奥様(ご夫婦で医師)もヒョコっと見えて
「私も爪の垢を煎じて飲ませていただきたいです」と(笑)
最後に
「まだお辛いとは思いますが、これまで十分頑張ったんだから、四十九日過ぎたらご自分たちのことを最優先に考えていくようにしてくださいね」
と、母と私を気遣う言葉をかけていただきました。
帰りにはデパートで開催されていた北海道物産展に寄り、父の好きだった蟹弁当とカレーパンを買って霊前に供えました。
だけどまだ父の遺影の前に座ったまま動けないです💦
あっ!蟹弁当狙っているわけじゃないですよ(ノ≧ڡ≦)てへぺろ