父が倒れた直後、たくさんの柔道仲間が寄せ書きやお花を贈ってくれました。 その寄せ書きは父のベッド脇に飾っていました。 が!その後その寄せ書きに名前を連ねている方が、ひとり、ふたりと鬼籍入り。 誰もが父が最初に旅立つと思っていたのに驚くぐらいの大誤算。 本当に父の生命力の強さに驚き、そして嬉しく... 続きをみる
2023年8月のブログ記事
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7年前…この年も父は暑さで衰弱していました。 だからわずかの反応でも嬉しかった❤️ 父の笑う顔が見たくて、私はいろんな芸を披露し続けていました。 私は父専属の芸人です(笑) ↓ 【介護日記】2016年8月30日 私が帰宅したとき、今日も父は目を閉じたままでした。 「ただいま~🎵」と言っ... 続きをみる
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在宅介護ってすごい大変でしょとよく言われました。 もちろん苦しい時もあったけれど、けっこうテキトーなこともあります(笑) ↓ 【介護日記】2016年8月29日 ここ数日で急激に目を閉じていることが多くなった父、眠っていない時は以前にもまして家族のことを呼ぶようになりました。目を閉じて... 続きをみる
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時系列めちゃくちゃに綴ってしまっているので自分でも混乱してしまいますが、7年前、父の最終章を意識した年ですね。 最終章が始まったとはいえ、父の最期までの覚悟はまだできていなかったように思います。 とにかくそう遠くない時期に訪れるであろう今生の別れのその日まで、精いっぱい父に尽くし、父を愛し愛さ... 続きをみる
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父のお通じ💩のチェックは健康管理に欠かせません。 毎日オムツ交換の際は、顔に💩がくっつきそうなところまでオムツに顔をギリギリまで近づけて💩をチェック(ド近眼+老眼なもので👓️) においや形状、色……くまなく観察するちょっとフェチな娘です(笑) シモの世話をされる側はきっと嫌だろうなと思いま... 続きをみる
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この日は3連投の投稿でした。 父が弱っていくのは自然のことだと受け入れる決意をし始めました。 父が消化できないほどの栄養を無理やり投与しても、苦しくてむくんで時には胃から逆流して誤嚥してしまうだけ。 父の体調をそれまで以上によーく見て、微調整をするようになりました。 でも、最終章を覚悟してから... 続きをみる
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あとから考えると、父にとって最期の夏でした。 しんどかっただろうに、ずいぶん頑張ってくれたんだなと、悲しみよりも感謝の気持ちが出てきます。 力自慢の父が枯れ木のように衰えていくさま……父は己の身をもって「いのち」を教えてくれました。 ↓ 【介護日記】2018年8月25日 衰弱が進んで... 続きをみる
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父が亡くなってから3か月ほど過ぎた頃、偶然に見かけた訪問入浴サービスの車。 スタッフさんたちとの別れは突然でした。 いくら体調が悪くてもずっと入浴できないのはかえってよくないと思っていたから、入浴のお休みはせいぜい2~3回で、少しでも体調が小康状態になったら短時間でもお願いするつもりでしたし、スタ... 続きをみる
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今年の暑さは異常だと言われているけれど、6年前の夏も父にはしんどかったと思います。 毎日一緒にいるのに衰えがすごい進むのがわかりました。 父の回復を必死に祈り続けた夏でした。 ↓ 【介護日記】2017年8月23日 本日、父は10日ぶりの入浴♨ 私の体調不良とほぼ時を同じくして父も体調を崩... 続きをみる
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いやいや、10年以上遡った振り返りなんて久しぶり?……なんて言うほどまだ投稿していませんが(笑) この頃は要介護状態とはいえ、車椅子で出かけたり好きなものを食べたりして、歩けないのと時々頭の中がフリーズしたりお花畑になる以外は何の心配もなく、穏やかに暮らしていました。 そうこうしているうちに利用し... 続きをみる
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今年も雨や台風などの自然災害が多いですが、この時も(…というより最近はほぼ毎年)大きな事故があってニュースではそればかり報道していました。 父にあんまり恐怖を与えるニュースは聞かせたくないんだけど、ラジオはNHKオンリーのわが家なので仕方ない(笑) 寝たきりになっても、認知症になっちゃって... 続きをみる
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久しぶりに父を見送ってからの回顧録、振り返りです。 亡くなってからも父宛の郵便物が届くのは切ないものでした。 そういえば昔、二十歳前に親友が急逝したのですが、彼女のお母様が「本人がいないのに振り袖のカタログが送られてくるのよ。電話もよくあるんだけど、『娘は亡くなりました』と言うと電話の向こうの... 続きをみる
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この投稿をした2013年8月は今思うと、父が入院して経管チューブ装着となり、前月に退院はしたものの衰弱していて、もう長くないかも…と、そう遠くない将来に訪れるであろう看取りに向き合う覚悟を秘かに決めた頃だったような。 だから、必死に父から話を聞こうとしてたのかもしれません。 私が子どもの頃から終戦... 続きをみる
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毎年、この時期になると必ず振り返る父の「ものがたり」。 戦争の最前線ではない、銃後を守る女とともに戦争を戦い抜いた子ども(父)の実体験です。 「クスッ」と笑って話せる時もありましたが、要介護状態になってからの父は、この話をすると「エーン!」と子どものように泣きじゃくるようになりました。 ... 続きをみる
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19年在宅介護してきました……とは言っても、メインで父の介護をしていたのは母で、私はそのサポート役にしかすぎません。 父から一時たりとも目を離さない母は、機器に頼らず父の体調を完璧に把握。 すごいです。 ↓ 【介護日記】2015年8月14日 母の特技(?) 父の顔を見ただけで体温を... 続きをみる
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今となっては懐かしい父のオムツ交換。 一度として「イヤだ!」と思ったことはありませんでした。 もちろん💩のニオイはするけれど、それをくさいと不快に思ったこともありません。 排泄の観察は父の健康管理に大切なことでした。 でも、いろいろやらかしていたのが、そそっかしいわたくし(笑) 味噌もク○も一緒... 続きをみる
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経鼻カテーテルを装着してからは、常に喉に違和感があったと思います。 ずっと胃カメラ検査やられているようなものですから。 申し訳ないとは思いつつも、命には代えられないから心を鬼にして痰の吸引していました😢 自力で痰を出してくれると嬉しくて、思わず素手でキャッチしてしまうこともしょっちゅうでした(笑... 続きをみる
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暦の上では秋なのに、何なのこの暑さは?🔥 暑さは要介護者である父にとっては、我々以上に命の危険が伴いますから、介護する側も命がけでした。 そこでやっかいなのが母(笑) 母に限らず高齢者は「冷房は体に悪い」が染み付いているので、冷房を付けさせるのに一苦労(笑) よく父の主治医に怒られてました。 室... 続きをみる
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誤嚥性肺炎を発症してからは、父は口から食べることができなくなり、数年は経鼻カテーテルを装着していました。 しかし、毎月交換するたびに辛い思いをさせてしまい、いつも鼻からプラプラと管がぶら下がって、さぞかし父は不快だったと思います。 かといって胃ろうを造るのにも我々家族は抵抗があり、決断までに葛藤の... 続きをみる
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少し間が開いてしまいました。 暑くて過去を振り返ることもしんどいほど。 今日の振り返りは、父にとって最後の夏。 この翌年の夏にはもう父は旅立っていました。 昨今の暑さを考えると、もしいま父が生きていたら、はたしてこの暑さに耐えられただろうかと思ってしまいます。 父を介護していた住まいは、父が建... 続きをみる