泣き虫 笑福(わらふく)の在宅介護回顧録

約19年にわたって父を在宅介護してきた時に某SNSに綴っていた「介護日記」の振り返りです。

2019年5月7日の【介護日記】あらため【見送りレポート】あらため……

【介護日記】から【見送りレポート】に変わり、さらにタイトル変更(笑)

この日は告別式でした。

当時、ものすごいハイテンションでいたのがわかります。おかげで自分のしでかしたこと(?)が記録されているわけですから。

記録がなかったら、きっと何も覚えていなかったと思います。

あの時の自分が書き残してくれた投稿で、今の自分が助けられています。いろんな意味で。

 

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「見送りレポート」改め【はじめての葬儀ドタバタ?奮闘記】  2019年5月7日

 

父が旅立った直後から、当然ながら慌ただしい時間が始まりました。

まずは父の死亡確認を終えた主治医が帰って、入れ替わるように葬儀社の方が見えてから。

深夜3時頃から打ち合わせ開始。ここから姦しい母娘がお互いの意見を譲らずで夜が明けそうに🤣🤣🤣←ケンカじゃないです💦

葬儀社さん苦笑い😅

 

この水と油の私と母の間に入って乳化というか中和というか…うまくなだめてくれたのが父でした。自分が眠っているそばでギャーギャー言う妻と娘に、「うるせ~な~!バッキャロー(#`皿´)」って言いたかったと思います(笑)

葬儀社さんから遺影の写真の準備を言われた母、「(* ̄ー ̄)ニヤリ」とドヤ顔(笑)

数年前からいざというときのために、父の最高の写真をトリミングして遺影用に作っていました。

その他、斎場でスライドにする写真を選ぶ際も、自分達の写り最優先で選ぶ妻&娘(笑)

誰のための写真だよ!🤣🤣🤣

 

会葬礼状作成にあたっては、私が気に入らず赤入れまくり(聞き取りで葬儀社さんが作成)で、「これだったら、私がイチから作りたかった( ̄^ ̄)」とダメ出し💦モンスター遺族になりかけました🤣🤣🤣


通夜は家族だけで執り行ったので参列者に気を遣うこともなく思いっきり父に向き合えて満足でした。

通夜振舞いも家族と御前様のみ。

 

まだ若い御前様、私と母に挟まれ、止まることのないマシンガントークによく耐えてくれました(笑)

なぜか途中から御前様相手に説法を唱える母!( ̄▽ ̄;)←母は先々代の方から知っているものだから💦この試練で若き御前様も成長されることでしょう(笑)

 

そして今日は告別式。

告別式は家族の他は父の兄弟(とその配偶者)のみ参加。

「(家族葬は)すごいよかった!」

「自分のときもこうしてほしい」

等々、ありがたい言葉をいただきました。

それまでは

「家族だけでなんて少ない人数でかわいそう」とか、

供花を辞退していたので、

「花が少なくてかわいそう」

とか言っていた親戚もいたのですが、

家族だけで父を独占してしっかり別れの時間を持つことができる素晴らしさを理解してもらえたようです。

供花を辞退しても、父の遺影が花そのもの、いや、もっときらめく華でしたから、必要ないくらいでした(笑)

 

火葬場で精進落としの献杯の際には、伯父(父の兄)が思いっきり弟自慢❤️

私が父自慢の挨拶をしようと思っていたのに、その役目を取られてしまいましたが(笑)、そんなに父のことを自慢してくれるなんて嬉しくて泣けてきました。

この時、伯父の挨拶で父は自分の母親(私の祖母)だけでなく祖母(私の曾祖母)まで介護していたことを初めて知りました。高校生の頃だったそうです。

身内自慢はほどほどにしなくちゃいけないんだろうけど、やっぱりこれからも父の自慢をガンガンしたい❤️

鬱陶しくても許してくださいね🤣


お骨になった父は私たちと一緒にわが家に戻ってきました。しばらくは一緒に過ごします。

ちょっとまだテンションが平常に戻っていないので投稿。これまた不謹慎と思わないでね🎵

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