泣き虫 笑福(わらふく)の在宅介護回顧録

約19年にわたって父を在宅介護してきた時に某SNSに綴っていた「介護日記」の振り返りです。

2019年5月4日の【介護日記?】から

2019年の昨日、旅立った父。

翌日からはやること満載でしたが、気持ちにも時間にも余裕があり、穏やかな気持ちで父のあの世への旅立ちの準備をしました。

とはいってもこの日はまだ父の体は家のベッドに寝ていて、訃報を聞いて駆けつけた妹一家や義妹と姪っ子、父や母の兄弟が父に挨拶をしました。

葬儀社へ運ばれるまで、父とはこれまでと変わらず一緒に過ごし、同じ部屋で眠りました。


   ↓


【介護日記】2019年5月4日

     ※もう“介護”じゃないかな?

 

My daddy passed away.


新しい令和の時代が始まって間もなくの5月3日、父はついに旅立ちました。

今まで幾度となく持ちこたえてくれた鉄人の父ですが、ついに力尽きました。

父の在宅介護は20年を目前に終了となりました。


介護が始まって以来、常にこの日を意識していました。父が体調を崩すたびにもしものことをシュミレーションして勝手に泣いていた私、父の最期には取り乱したり泣きわめく自分を想像していました。

ところがところが。自分でも拍子抜けするくらいその現実をあっさり静かに穏やかな気持ちで受け止めることができました。

もちろん涙は出ましたが、それは悲しみの涙ではなく、「お父さん、ありがとう」「お父さん、長い間お疲れ様でした」と感謝の思いから溢れたものでした。


この日、母が深夜2時頃にいつものように父の顔を覗き込みオムツを交換しようとしたら、顔色が違う。息してない? 脈がかすかにしか触れない…それで私も父のもとへ行き、ふたりで再確認。


私と母、取り乱すことなくもうアイコンタクトで父の最期を実感し、主治医へ連絡しました。

この時点で父の体はまだ温かく、本当に「たった今」という感じ。どのタイミングが「死」だったのかわからないほど静かな最期でした。


すぐに主治医が到着し、死亡確認。私はこのような場に立ち会うのはもちろん初めてのことでしたが、主治医が何度も何度も確認をするさまに「まだ確認するんかい?\(-_-)」とツッコミを入れたくなりました(笑)

点滴も胃ろうもはずし、スッキリとなった父の顔を再度「お疲れ様でした~」とこねくりまわしました。このときの父はちょっと冷たくなり始めてた(T-T)


「こんなに胃ろうがきれいな状態なのは、初めて見ました。ご家族が本当に一所懸命お世話し続けてきたからですね。

そして死因はもう“老衰”と言ってもいいと思います。

まったく苦しんだ様子もない。

お父さん、“お見事”としか言いようがありません」と主治医。

私たちは当然のことをしたまでなので、こんなに言われて気恥ずかしい思いです(///∇///)イヤン

でも、主治医が「お見事」とまで言い切った父の最期を誇らしく思いました。


主治医が帰った後すぐに葬儀社に連絡し、その後の準備もどんどん進めました(母のせっかちパワー炸裂💥)。

ちょうどそのとき、父の最期の(?)お通じが💩

もう遺体となっている父でしたが、私と母は生きているときと同じように父に声をかけ、ありがたくおシモをきれいにさせてもらいました。まだ父の体内の温もりが残っている💩、マジで“いのち”を感じましたよ❤️


葬儀社の方が来る前には父の爪を切り、気になった鼻〇ソも除去(笑)

エンゼルケアではなく、いつものケアを念入りに施しました。

通夜&葬儀はまだなので、父は今もこれまでと変わらず家のベッドに寝ています。私達も父のベッドの周囲で食事をしたりテレビを見たり話したり笑ったり。


昨夜はいつもは母ひとりで寝ている父のベッドの周りに布団を敷き詰め、母と私と妹の3人で父と一緒に寝ました。すごく落ち着いて幸せなひとときでした。

今夜もみんなで父と一緒に休みます。


だけど今朝、もうやらなくていいはずの父の朝のケアのためにこれまでと同じ時間に起床し、「さてっ!」と思った瞬間に、「あ~もうやらなくていいんだ😢」と思ったらせつなくなりましたが。

葬儀等がまだなので実感がわかないせいかもしれませんが、私も母も自分たちでも驚くくらい穏やかな気持ちです。


これまで介護や看取りについて、たくさんの学びの場に参加させていただいたことがしっかり身についているからだろうと思っています。

素人の私を仲間として学びの場に同席することを許してくださった皆様、ありがとうございました。

介護を通じて関わったたくさんのお友達に心より感謝申し上げます。

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