泣き虫 笑福(わらふく)の在宅介護回顧録

約19年にわたって父を在宅介護してきた時に某SNSに綴っていた「介護日記」の振り返りです。

2014年3月17日の【介護日記】から

介護の経験の執筆依頼をされて書いたものです。

父を看取った時、介護の日々が幸せで父には感謝しかなかったのに、介護をスタートした頃はかなりたくさんの葛藤があったんですね。

殺意が芽生えるほど追い詰められた日は遠い過去の日となり、今も父には感謝の思いで毎日仏前に手を合わせています。


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【介護日記】2014年3月17日


少し前、とある雑誌に介護の体験談を書いてほしいと頼まれ、執筆しました。思いっきりマイナーな雑誌で、今後人の目に触れないまま消滅してしまう可能性も大なので、ここに原稿段階でのものを載せさせていただきます。

これまでここに書き込んだ介護日記は、リアルタイムのものがほとんどです。

ときどき書きこんだこともあるかもしれませんが、介護を始めたばかりのとまどいの心境など、おわかりいただければ幸いです。


注) 原稿段階での文章なので、ちょこちょこおかしい言い回しがあったり、小見出しもありませんがご容赦ください。三回に分けて投稿します。


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<その1>

 私の父が倒れたのは今から15年前。当時65歳の父はジムでトレーニング中に脳内出血を起こして救急搬送、緊急手術をして約2カ月入院、その後リハビリ専門の病院に移り、3か月入院。右半身マヒと認知症という後遺症をかかえて父は退院した。退院当時の要介護認定は要介護4。その日から家族一丸となっての在宅介護が始まった。

 それまでの私といえば、独身生活を謳歌し、仕事の後は毎晩のように飲み歩き、まとまった休みをとっては海外旅行。十数年前にパラサイト・シングルという言葉が流行ったが、私はまさにその典型。そのため、この年齢の女性であればできて当然の家事さえままならなかった。そんな私がいきなり介護生活に突入したのだ。最初は大袈裟でなく地獄のような日々だった。

 当時は当然ながら介護未経験。それでも父に対してできる限りのことをしてあげたいとは考えた。

 食事は私たちと同じもので問題なかったが、やはり移動を伴うトイレと入浴はかなりの労力を要した。トイレはポータブルトイレを使用(夜間はオムツを使用)。ベッド脇に置いて使用していたが、体の大きい父をトイレへ移動させるのはけっこうな重労働だった。

 入浴は訪問入浴サービスを週2回利用していたが、それ以外も汗を流してあげたいとの思いから、入浴用の車椅子も購入し、私と母、妹の3人がかりで父にシャワーを浴びさせた。我が家の浴室までの廊下はとても狭く、車椅子に乗せての移動はとても苦労した。父のシャワー浴を終えるともうぐったりで、自分が入浴する余力は残っていない場合がほとんど。そのため、夏場だというのに汗臭い体で布団に倒れこんでしまうこともしばしばだった。

 また、父は倒れる前は地元の子どもや若者たちに柔道を教えており、その教え子の中にマッサージ師や整体師になった人たちもいて、彼らが交代で父のリハビリやマッサージをしに我が家を訪れてくれた。彼らはマッサージをするだけでなく、食道楽だった父のためにいつも父の好物を持ってきてくれ、一緒にお茶を飲みながら雑談に付き合ってくれた。父が自ら言葉を発することは少なかったが、人の会話を聴くことも脳の活性化には効果的と聞いていたので、とてもありがたかった。

 私は何の知識もないまま、ある日突然介護生活に突入したわけだが、実は在宅介護を始める前に、少しだが学ぶ機会があったことに後になって気がついた。父が入院中、私たち家族は毎日交代で付き添っていたことで、いつのまにか体向変換やオムツの当て方、その他諸々介護のノウハウを自然とマスターしていたのだ。父は他人の世話は受け付けず、家族以外の人間の世話を嫌がるため、入院中でも私たち家族がやらざるを得ない状況だったことが結果的に幸いした。

 食事や排泄、入浴に関しては、体力は使えど徐々に慣れてきて問題はなくなってきたが、認知症への対応はかなり辛い気持ちになることもあった。父を部屋の中で車椅子に座らせても、認知症のために車椅子を自分で操る能力を持てなくなっていたため、狭い部屋の中で壁や家具にぶつかろうがおかまいなしにガンガン暴走。当時飼っていた犬を何度も轢いたり、段差のある場所でひっくり返りそうになったりと、車椅子が凶器と化した。これは危険すぎるということで、以後はベッドに腰かけて過ごすようにした。

 また、他にも引き出しから重要書類を取り出してぶちまけたり、ベッドの柵を力任せに引き抜いてその隙間から床へ落ちてしまったりと、ほうっておいたら何をしでかすかわからない。

 歯磨きをするときも、歯が丈夫ですべて自分の歯のため、歯ブラシの柄を噛んで折ってしまうほどである。磨く私たちは命がけだった。

 これらは日中のことなのでまだ何とかなったが、問題は夜。一晩中わめき続けることもざらで、私たちが眠れるのは一日おき(父に付き添わない日)という日々だった。

 父の世話をできるのは娘として幸せなことだと思いつつも、睡眠不足が慢性的になると、さすがにメンタル面が壊れかかってくる。夜通し意味不明な奇声を発し、自分でオムツをはずして布団が尿でビショビショにされてしまった時などには途方に暮れた。

 何度、この手で父の首を絞めてしまおうと思ったかわからない。ようやく静かに寝静まった父の顔をのぞき込み、「早く死んでくれ!」と心の中でつぶやいたのも一度や二度ではない。そして、そんな考えを持ってしまった自分自身が許せず、さらに落ち込むという悪循環の繰り返しが介護が始まって数年はあった。

 ところが、父の介護に明け暮れていたある日、私自身も病に倒れ入院を余儀なくされた。手術の後、たった1日寝たきりになっただけでも辛いと思ったのに、ずっと寝たきりでいる父はどれだけ辛いだろうと思ったら涙が止まらなかった。介護は確かに大変だが、介護をされなくてはならない側(要介護者)はもっと大変なのだ。自らの病で父の苦しみを身をもって感じ、以降、介護に対する姿勢が少しずつ変わったように思う。(つづく)

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