父は誤嚥性肺炎の後、口から食べることを禁じられ、経鼻カテーテルから栄養摂取をしていました。 命を繋ぐ手段とはいえ、鼻からチューブをぶら下げている父の姿に向き合うことはつらかったです。 チューブは1か月毎に交換が必要だったのですが、その度につらい思いをさせてしまいました。 鼻の粘膜がただれるから、右... 続きをみる
誤嚥性肺炎のブログ記事
誤嚥性肺炎(ムラゴンブログ全体)-
-
11年前の振り返りになります。 誤嚥性肺炎発症後、経鼻カテーテル装着と同時に痰の吸引も欠かせないケアのひとつとなりました。 父の痰なので平気で処理できましたが、一般的には痰は汚いというか、感染症予防のためにも触れないように避けるべきもの。 だから、食器等と一緒に洗うのはもっての他! なのに母ってば... 続きをみる
-
昨日に引き続き、原稿を再掲載。 この頃から、徐々に介護から看取りへシフトチェンジを意識するようになっていきました。 ↓ 【介護日記】2014年3月18日 昨日アップしたマイナー雑誌(!)へ掲載した介護体験談の原稿の続きです(校正前)。 ↓ <その2> 父の介護は、母の主導で私たち子ど... 続きをみる
-
父が入院中は、仕事が終わるのが待ち遠しくて、終了時間30分前頃からソワソワ。 職場から病院へ直行し、病院から職場へ通勤。 病室が家と化していました。 肉体的にはボロボロだったけど、なんだか心は穏やかでした。 ↓ 【介護日記】2015年2月27日 水・木と病院に泊まってあげられなかったら、父は... 続きをみる
-
経鼻カテーテルから胃ろうとなり、口から食べることができなくなった父を見るのがつらい毎日でした。 それでも自分はお腹が空いて食べている。父に申し訳ない罪悪感と食欲が共存していました。 母は誤嚥性肺炎が再発するのが怖くて嚥下リハには絶対反対を譲りませんでしたが、何とか説得してようやくVE検査にまで... 続きをみる
-
口から食べることが禁止され、鼻からのカテーテルで栄養摂取をするようになった父。 仕方なかったとはいえ、いまだに父に申し訳ないことをしてしまったなと思います。 常に心で詫びています。 私が同じ状態になったら、そんなことしてほしくないもの。母も同意見。 自分が嫌なことを父に強いてしまったことは本当... 続きをみる
-
嚥下リハが思うように進まず、諦めかけたり焦ったりと、ずいぶん葛藤がありました。 いつもなら協力し合う母とも嚥下リハに限ってはしょっちゅう対立。 母は二度と誤嚥性肺炎を起こさせるものかと必死だったし、私はもう一度口から食べさせたいと必死。 個人差があるから、他の人ができたからといって父もできるとは限... 続きをみる
-
介護の情報を仕入れるために、あちこちの勉強会にせっせと参加していました。 プロに混じって図々しくも素人の私が(笑) でも、「介護家族のプロ」として(笑)、医療介護従事者の方が私に一目置いてくれることもあり、気恥ずかしいです❤️ この頃は、いわゆる「遊び」に出かけることは父にすまない感じがして気が進... 続きをみる
-
10月なのに、今年はまだ地域によっては夏日のところもありますが、10年前はまだちゃんと秋が訪れていましたね。 暑さを乗り越えた父の様子に安堵。 しかもこの少し前には誤嚥性肺炎で入院し、生きて家に帰れるとは思ってなかったから、本当に心の底から父に敬意を表していました。 しかし、父は父なりに忙しかった... 続きをみる
-
昨日に引き続き、介護関連の勉強会へ参加したときの投稿です。 もちろん専門職向けのセミナーですから、脳ミソ沸騰状態です。 でも、ここでたくさん知識を得ることで、主治医に質問をすることができました。 「おっ!この患者家族は油断ならないな💦」と思わせることも(笑)、よりよい在宅介護には必要かと。 専門... 続きをみる
-
-
この日は厳密には【介護日記】ではありませんが……。 とあるご縁から、医療介護従事者の方々が学ぶセミナーに参加させていただくようになりました。 専門職向けのセミナーなので、正直内容はほとんどわからない(笑) でも、わからないということをわかることが、私にとっては収穫でした。 このような勉強会を知ら... 続きをみる
-
経鼻カテーテルを装着してからは、常に喉に違和感があったと思います。 ずっと胃カメラ検査やられているようなものですから。 申し訳ないとは思いつつも、命には代えられないから心を鬼にして痰の吸引していました😢 自力で痰を出してくれると嬉しくて、思わず素手でキャッチしてしまうこともしょっちゅうでした(笑... 続きをみる
-
誤嚥性肺炎で入院し、口から食べることを禁じられて経鼻カテーテルをつけた父。 介護といっても今まで経験してきたそれとは違うものだと覚悟をして父を病院から迎えました。 父が倒れるまで家事もロクにやってなかったパラサイトシングルの私には、どうってことない普通のことも最初はしんどかったです。 ぐうたらのく... 続きをみる
-
6年前の今日は、二度投稿していました。 自宅にずっといて父に付き添っていたわけですが、四六時中ずっと父を看ているわけでもないので、時間的余裕があったからでしょうね。 この頃は父の体から出る痰も耳垢も💩もすべて愛おしくて、健康チェックのためにギリギリまで顔を近づけて(ド近眼なので🧐)観察して... 続きをみる
-
まだ【介護日記】のタイトルがない頃です。 誤嚥性肺炎を発症した父が、2度めの入院……というか、前回の入院からすぐに再入院となってしまい、ようやくちゃんと退院ができたときです。 いよいよステージの上がった「在宅介護」の始まりの頃。 不安で不安でたまらなかった時です。 ↓ 2013... 続きをみる
-
この時、父は体調がよくなかったんですね。 熱を出した後の日の投稿です。 そしてこの頃、私は父の嚥下リハに必死でした。 母はまた誤嚥性肺炎を起こしたらかわいそうと消極的でしたが、私は口から食べる楽しみを完全に奪いたくなかった。 固形物は無理でも、大好きなかき氷ならと思って、できるだけ時間を作って... 続きをみる
-
今日は2015年の1コマです。 誤嚥性肺炎にすごく過敏になっていて、とにかく父の口腔ケアを鬼のようにしていました。 いろんな製品を片っ端から試し、かなり散財もしましたが、結局のところオーソドックスに細かく念入りに歯ブラシで磨くのが一番だということに落ち着きました。 幸い、母と二人体制でできたので、... 続きをみる
-
いきなり10年前の振り返りになりました。 この頃はまだ【介護日記】というタイトルはつけておらず、介護ネタの投稿はほんの少しでした。 この10年前がある意味では介護のターニングポイントだったかもしれません。 明日は何年前の投稿の振り返りになるかしら? ↓ 2013年5月19日 久... 続きをみる
-
過去の「介護日記」があがってこなかったのでお休みしてしまいました。 今日は2016年のがありました。 この頃は口から食べることができなくなっていた父ですが、作って食べることが大好きな父でしたから、何とか少しでも食べる楽しみをもう一度味わってもらいたいと思って、必死に嚥下ケアを試みました。 また... 続きをみる
-
今日は2016年の今日の振り返り。 誤嚥性肺炎を発症してからは、痰の吸引が欠かせなくなりました。 入院中に看護師さんからレクチャーを受けたけれど、不安で不安でたまりませんでした。 何度やっても自信が持てずにいるからもたついてしまい、かえって父に辛い思いをさせてしまって申し訳なかったなって。 だ... 続きをみる
-
-
いきなり2014年まで遡ってしまいました(^_^;) 退院後、要介護状態ではありながらも穏やかに過ごせていたようです。 この前年に誤嚥性肺炎で入院をしてからの介護は、それまでとは一変しました。 とにかく父を注意深く観察し、検温や排尿排便のチェック、念入りな口腔ケアにマメな体向変換等々……やることは... 続きをみる
-
昨日は投稿お休みしちゃいました。 お彼岸であちこちお墓をハシゴしたのと、2日連続でWBCに母がにわかファンとなって大興奮していたものだから、その奇声(エール🤣)に疲弊していました(笑) さて、8年前の今日の投稿。一大決心を綴っています。 父に胃ろうを造設したのですが、決心するまでの心の揺らぎ... 続きをみる
-
いきなり2016年の振り返りになってしまいました(笑) 2014年も2015年も介護に関係する投稿じゃなかったので。 入院以来、経鼻からの栄養注入で口から食べることができなくなった(させなかった💧)父でしたが、少しでも口から食べる楽しみを復活させたくて必死になっていた頃です。 表れてくる「過... 続きをみる