泣き虫 笑福(わらふく)の在宅介護回顧録

約19年にわたって父を在宅介護してきた時に某SNSに綴っていた「介護日記」の振り返りです。

2015年3月23日の【介護日記】から

昨日は投稿お休みしちゃいました。

お彼岸であちこちお墓をハシゴしたのと、2日連続でWBCに母がにわかファンとなって大興奮していたものだから、その奇声(エール🤣)に疲弊していました(笑)

 

さて、8年前の今日の投稿。一大決心を綴っています。

父に胃ろうを造設したのですが、決心するまでの心の揺らぎと葛藤、母の説得とか……。

それまで何年も経鼻カテーテルを挿入していたので、鼻の粘膜がただれてしまうことがあったし、常に顔に絆創膏が貼られているので洗顔が十分にできないことも不満でした。

経鼻カテーテルから胃ろうに変えたことは、父への負担を考えると後悔はありません。

 

でも、父が亡くなった今でも、この時の選択は正しかったのだろうか?と、折に触れて考えてしまいます。

もちろん正解はありません。どっちが正しくてどっちが間違っているなんてことありません。

それでも、父本人が決断したことではなく、私たちが決めてしまったことなので。

「お父さん、あれでよかった?」と父の遺影に問いかけてはみるものの、返事はないですね💧


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【介護日記】2015年3月23日

 

父が退院して1週間が経過しました。今回は一昨年のように退院直後に具合が悪くなって病院へ舞い戻ることもありませんでした。ホッとしています。

ところで今回の退院にあたり、父には大きな変化がありました。一昨年の5月以来、ずっと経管を装着していた父ですが、今回の入院時に胃ろうを造りました。


元々、私も母も胃ろうは完全否定、絶対反対を貫いていました。特に母は、周囲で胃ろうを造った人の話を聞き、「胃ろうをやってよかったという人はひとりもいない。みんな後悔している」と頑なでした。ただ、その人たちは、いわゆる植物状態の人。

父は寝たきりではありますが、植物状態ではありません。口から食べることは難しいけれど、ちゃんと十分な栄養を摂取することで元気です。現在と過去が交錯したり、とんちんかんなことも言うけれど、ちゃんと反応してくれ、喜怒哀楽も十分で、私の安来節でむせるほど大笑いしたり、ちょっと手荒に(!)オムツ交換をすると、「バッキャロー!もっとていねいにやれっ!」と怒られます (^^ゞ それだけ反応がある父と、植物状態の人の事例を一緒に考えていいものか……と、私はずっと悩んでいました。


幸い……という言葉を使っていいものかわかりませんが、父は「腹が減った」と言っても、「○○が食べたい」など、具体的な欲求はありません。ちゃんと経管から十分な栄養を入れれば、満腹感というか満足にはなるようで、しばらくの間は「腹減った」とは言わなくなります。だから私も、積極的に口から食べられるようにする必要はないと考えていました。特に母はもう再び誤嚥性肺炎で苦しい思いはさせたくないと、頑なに拒否していました。

でも、それだったら鼻からよりも胃へ直接のほうが何かとリスクは少ないんじゃないかと、経管と胃ろうを比較するようになりました。そして、経管をはずせば口から食べる訓練もできる。十分に食べられなくても胃ろうから必要な栄養を入れられるから、焦る必要がなく、ゆっくり構えて食べる練習ができるのでは……とも考えました。


もう、口から食べることだけで十分な栄養を摂取させようとは思っていません。しっかりとリハビリをすれば大丈夫!と先生は言ってくれますが、そこまでの訓練を父に強要させたくはありません。運動不足で足腰が弱っているというのであれば、少しずつ運動をすることで筋力や持久力がつくことでしょう。でも、口や喉は今まで毎日使っていた筋肉です。毎日使っていて衰えてきているわけですから、それを回復させるには、どれだけの訓練をしなくてはならないのかと考えたら、とてもそこまでさせたくありません。父はもうずっと苦労をしてきました。今はもう甘えさせてあげたい、辛いことはさせたくない……と思うことは介護をする側の身勝手でしょうか?


でも、そうはいってもやっぱり口から食べるということを少しでも復活させたいという思いも、矛盾しているかもしれませんが持っています。主治医の先生も、「痰を自力で吐けるし、唾も飲み込める。よくしゃべっているから酸素もちゃんと取り込めている。少しずつ口から食べる練習をしましょう」と言ってくれていました。

ただ、胃ろうというと「胃に穴を開ける」ことだとストレートに思ってしまい、必要性を理解していても抵抗がありました。いろいろな資料を読み、「胃ろうはもうひとつの口」という表現を目にしました。そう思うと抵抗が薄れました。また、「そういえば私はピアスの穴を開けたよなー」とも思い、胃ろうを造る行為そのものへの抵抗は少しずつなくなってきました。

主治医の先生も、「必要なくなったらいつでも胃ろうははずせますから。それよりも、鼻の粘膜が限界で、そっちのほうが問題です。それに、少しでも口から食べさせてあげたい」と言ってくれ、私は胃ろうに対して前向きに考えられるようになりました。


そうなると、今度は母を説得です。前述したように、母は私以上に胃ろう反対派。その一番の理由は「お父さんがかわいそう」。そこで、どの状態が父にとって一番かわいそうなのかを話し合い、胃ろうを絶対造ろうという形ではなく、選択肢のひとつとして、胃ろうも考えてみようよ……と、提案しました。

そこへ今回の入院。胃ろうを造るには入院して手術が必要ですが、おそらくそのためだけにということだったら、母も私も未だに躊躇していたと思います。肺炎その他の治療のために入院したことで、「だったらこの機会に」ということになりました。「ついでに」と言っては不謹慎かもしれませんが、母曰く、「この入院は胃ろうを造るために導かれたのかなー」と。


経管のなくなった父の顔はすっきり。表情も穏やかです。喉にあった違和感がなくなったからでしょうか、寝るときもスヤスヤ、スウスウ…時々ンゴォー(笑)

ずっと顔に貼り付けていたテープもなくなりましたから、以前のようにまた美白パックをほどこしてあげようと思っています(^-^)v


口から食べる訓練は、最初は先生や看護師さんとやってもらうつもりです(これは日中不在の私に代わって母にやってもらうことになりますが)。でも、ちょっとずつ慣らしていこうと、今日はすこぉーしだけ、私がアイスクリームを口に含ませました(母は怖がってやらない)。ところが「まずい(-“-;)もういらない!」って ( ̄Д ̄;) バニラは父の口に合わなかったようです。

「お父さん、アズキ(アイス)なら食べる?」と聞くと、「おう」

「明日買ってくるね」と言ったら、うれしそうな顔をして「頼むよ」と。……ただ、アズキアイスって小豆の皮も入っているから、それでむせるのが怖いなーと ( ̄Д ̄;) 地道に取り除いてあげますか(^_^;)

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