泣き虫 笑福(わらふく)の在宅介護回顧録

約19年にわたって父を在宅介護してきた時に某SNSに綴っていた「介護日記」の振り返りです。

2015年2月22日の【介護日記】から

投稿年が時系列どおりになっていないため、またもや話の前後があやふやになってしまっていますが、父が入院が続いてかなり私の心も限界になっていた頃です。

介護がつらいという意味の限界ではなく、父をひとり病室に置いていかなくてはならないというつらさ。寂しさと不安で限界でした。


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【介護日記】2015年2月22日

 

明日から仕事に戻らなくてはならないため、今夜は病院へ泊まらずに帰宅。

夜のケアを済ませ、私が不在中のケアに関するお願い事を部屋のあちこちに書いて貼って、明日の朝にやってもらう口腔ケアのグッズを準備して、オムツの交換をして、静かな音楽のCDをかけて、当直の看護師さんに「くれぐれもよろしくお願いします」と挨拶をして・・・。

父が寝ついたのを確認してから部屋を出たけれど、ナースコールも自力で押すことができない不自由な体で、ひとり夜を過ごす父のことを思ったら、タクシーの中で泣けてきた(ToT)

介護をしていると自分の行動に何かと制限は出てしまうけれど、やっぱり介護は家族でやりたい。難しいこともあるけれど、父と離れることは考えられない。

父のために・・・じゃない。私が、父と一緒にいたいから介護をやってるんだな、やらせてもらってるんだな・・・と、タクシーの中でベソをかきながら今さらながら実感しました。

だから、父に「ありがとう」と言われると、つい「そんなこと言わなくてもいいんだよー」と言ってしまう。私が父に「ありがとう」と言いたい。


介護が辛くて殺意すら芽生えたあの頃の私は何処へ?(^_^;)

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