泣き虫 笑福(わらふく)の在宅介護回顧録

約19年にわたって父を在宅介護してきた時に某SNSに綴っていた「介護日記」の振り返りです。

2017年4月2日の【介護日記】から

相変わらず時系列無視の振り返りです(笑)

今日はいきなり2017年。

まだ父の誕生日ネタを引きずっていますが、この年はもうひとつ、父に関わる大きな出来事がありました。

自営業の店を閉めました。

 

商人の家に生まれ育った私は、常に家族以外の人間が家にいる環境にいて、思春期の頃はかなり不満に思ったこともありました。

 

いま、店のあった土地は売り払い、古くて狭いアパートに母とひっそり住んでいます。不動産を処分せざるを得なかったほど金銭的に困っていたのが転居の理由ですが、背負っていた大きな荷物を下ろすことができて母は安堵しています。

店をやっていた頃は、近所ではそこそこ有名人でしたから、一歩外に出たら気を抜くことができず、ちょっとだけ芸能人の気持ちも理解できたりして(笑)

でも今はその窮屈さから解放されて、母は幸せだと言っています。

何が幸せかわかりませんね。


     ↓


【介護日記】+α 2017年4月2日

 

去る3月31日は父の誕生日🎂 81歳になりました。この1年で少しずつ体は小さくなり、緩やかな曲線で衰えてきていますが、穏やかな状態で誕生日を迎えることができました。

父のお弟子さんがケーキを持ってきてくれ、春休みの怪獣1号&2号も集合🎁🎂🎉 みんなでじーちゃんの誕生日を祝いました🎊

 

  

【ここから+α】 

今年はもうひとつ、この日はわが家にとって大きな出来事がありました。

父の築いた“ものがたり”が、この日幕を降ろしました。


戦後間もなく父の父、私の祖父が米穀燃料商を創業しました。

その後、三男坊だった父は暖簾分けのような形で支店を興しました。古い木造の平屋の元々店舗だった物件を買ってスタート。

当時まだ独身だった父は、自分の妹を同居させて身の回りの世話をしてもらっていましたが、やがてそこに母が嫁いできました。


最初の頃は貧しくて店なのに電話をひくこともできず、しばらくは道の向かいにある電気屋さんの電話を借りて呼び出してもらっていたそうです。

また、同業者の集まりにもツギを当てた上着を着て出向き、他の人からバカにされたこともあったとか。

他にも、よその地からの新参者且つ若造ということで古くからその地にいる長老たちに嫌がらせに遭い、問屋に○○へは卸させないように圧力をかけられたこともあったと聞かされました。父はそんな嫌がらせにも屈せず、その長老のもとへ出向き直談判して勝利しました(笑)


やがて私が生まれ、“米屋のは○こちゃん”としてご近所中に可愛がってもらいました。

長子の私は妹や弟が生まれるまでは家の中に子供ひとりでしたから、お店の中でもよく遊んでいました。店頭のお米や糠に手を突っ込んだり、高く積んである米袋の上に乗っかり崩して落っこちたり、売り物のプラッシーを飲んでしまったり……😜 

お店の前にも出て、大きな声で歌って踊るのも日常茶飯事(笑)

嫌がる友達をバックに従えて……(*≧∀≦*)

観客は通行人と信号待ちの車に乗っている人(笑)

また、毎日父の配達する軽トラやバイクに同乗して行く先々で可愛がってもらったことも、昨日のことのように思い出します。

 

その後、父が今の店舗に建て直し商売を続けました。その間には父の実家の本店から独立して、祖父の名前の入った店名から自分の名前を社名にした株式会社○○○商店として営業。

父は毎日身を粉にして働いていました。

ガスや灯油を扱っていましたから、何かあれば365日24時間対応しなくてはならず、家族旅行をしたのは私が小学1年生の時の一度だけ。

大晦日も新年に変わる直前に、慌てて年越しそばを食べたこともありました。

その父のおかげで、私たち子供は何一つ不自由のない生活をさせてもらいました。若い頃はそれが当たり前のことだと思っていましたが、今になって父の苦労のお陰だったと気づかされています。

 

しかし今や建物も築50年。

東日本大震災の時には半壊し、精米の機械も限界となりました。

そのため、創業55年をもって店仕舞いとしました。

 

今年に入ってから大口の法人のお得意様には今後の取引を引き継いでくれる同業者を紹介し、また、個人のお客様には1軒1軒挨拶状を配り歩きました。

私は店の経営には一切関与していませんが、挨拶状の原稿を作ったり、店仕舞いに向けての準備でできることは手伝ってきました。それらに関わっていると、両親のこれまでの苦労が痛いほどわかり、涙が溢れる毎日でした。

寝たきりになりながらもなお一家の大黒柱として絶大な存在感を持つ父に敬意を払わずにはいられません。


ご挨拶状を配った後、皆さん驚いて電話してきたり、高齢で足が悪いのにわざわざ来店してくださって涙を流してくれたり……。

子育てで悩んでいた若いお母さんには母が相談にのってあげていて、「千葉のお母さんと思っていました」と言ってくださいました。

買い物以外の目的で来店してくださる方もたくさんいました。


そして最終日。古くからのたくさんのお客様が花束を持って来店し、「長い間お疲れさまでした」と労ってくれました。

閉店時間、シャッターを降ろす直前に、家族で店の前に立ち、「長い間ありがとうございました」と一礼しました。夜になると人通りもない寂しい道なので、デパートのような華やかな幕引きではありませんでしたが(笑)、まるでステージの緞帳が降りてくるような気持ちでした。……あいにく自動シャッターじゃないので、頭を上げてから手動で下ろしたんですけどね(ノ≧ڡ≦)



翌4月1日は休む間もなく店内の撤去作業。正月以外で土曜日にシャッターが降りているのは、私にとっては生まれて初めての経験でした(店は日曜祝日が休業)。しばらくは曜日の感覚が狂いそう( ̄▽ ̄;)

 

そして今日はお墓参りに行き、創業者の祖父に閉店の報告。

墓前には、閉店の日にお客様からいただいたお花を供えました。せっかくもらったお花なのに、もうお店を開けないから誰の目にも触れなくなっちゃうね~ということで。


 

まだしばらくは残務処理でバタバタしますが、母は落ち着いたら「ハンドケアしてもらおうかしら❤」と(笑)

先日、孫(怪獣1号)がネイル&ハンドケアしたのを見て、「若くてみずみずしいのに~(生意気!)」と(笑)

介護をしているのでマニキュアを塗るわけにはいかないけれど、荒れた手のケアはしてみたいと……。

店に介護に……で、ガサガサになっている母の手。孫(怪獣1号&2号)には「ばーちゃんの手、大根おろし(オロシガネ)みたい~!」と言われていた母の手。

外へ出かけるときはみっともないからと手袋が欠かせませんでした。

これからは経済的余裕がなくなりますが、これくらいだったら贅沢じゃないですよね。早く予約してあげよっと!(* ̄∇ ̄)ノ

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