泣き虫 笑福(わらふく)の在宅介護回顧録

約19年にわたって父を在宅介護してきた時に某SNSに綴っていた「介護日記」の振り返りです。

2015年10月15日の【介護日記】から

父を約20年在宅介護を経験した私。結果的に最期まで自宅で看ることができてよかったと思っていますし、心の底から幸せで父には感謝しかありません。“結果的に”ね。

その心境に至るまでにはいろいろな葛藤があり、父に殺意さえ芽生えたこともありました。

いろいろな学びを父が与えてくれたんですかね。

人間らしい優しさを私も持つことができたのは、父のおかげです。

昨日も月イチの日課となっている父のお墓参りに行ってきましたが、父に感謝の思いを伝えてきました。

昨日は父のお使いでカエルさんがお目見え🐸



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【介護日記】2015年10月15日

 

「なんでそんなに献身的に介護できるの?」とか「こんなに一所懸命でお父さん幸せだね」とよく言われます。

でも決して謙遜ではなく、献身的に……とか、一所懸命やっているという意識はありません。“今は”生活の一部です。


それでも以前は、介護をしている私自身をいたわってほしいと思う時期がありました。

「私って介護してるの。すごいでしょ?」って(^_^;)……ある種の不幸自慢ですかね。

要介護者の父のことなんて二の次でした。

だから、常に辛かったししんどかったです。

介護をしている私自身が一番かわいそうだという思いがありました。


数年を経て、ようやく父を主体に介護を考えられるようになりました。

でも、やっぱり介護はしんどかった。

何度父の首を絞めようと思ったかわかりません。

その時は、寝たきりの父のことを、「不幸」「かわいそう」と思っていました。

だからますます介護が悲しいことで重荷でした。


いつの頃からか、父をかわいそうと思わなくなりました。もちろん寝たきりで現実的には痛かったり苦しいと思います。でも、“かわいそう”ではありません。

そして、私たちが父を世話して「あげている」んじゃないな~と思うようになりました。

私たちが父のために世話しているのではなくて、父が私たちのために生きてくれていると。

寝たきりになっても、苦しい思いをしても、私たちのために必死に生きてくれている……そう思えるようになってからは、父の介護を辛いと思わなくなりました。

むしろ介護をできることに幸せを感じるようになりました。


実際には寝たきりで経口摂取ができなくなって……それが自分の勉強不足も一因だと思ったりしてやりきれないこともありますが、それでも介護をしている今の境遇を、不幸だとは思いません。


実は父は、数日前から熱を出していました。点滴をしたり抗生剤を投与して体調が少し落ち着き、今日は数日ぶりに穏やかな表情を見せてくれました。

それで、ガラにもないけど父に感謝を示したくて、こんな投稿しちゃいました(^o^ゞ


あ~恥ずかしい(^_^;)

でも言いたい(*≧∀≦*)

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