泣き虫 笑福(わらふく)の在宅介護回顧録

約19年にわたって父を在宅介護してきた時に某SNSに綴っていた「介護日記」の振り返りです。

2015年2月21日の【介護日記】から

8年前のこの日は、2回投稿していたようです。父の傍らから離れられないから、他にやることなかったのかな(笑)

先日の振り返り投稿で、病院から職場へ通勤と書きましたが、入院して最初のうちは仕事休んで付き添っていたみたいですね。そういえば思い出しました。立場的に休みづらい境遇だったんだけど、ようやく有休が付与される時期になったので申請したのでした。

 

同日には在宅医療の勉強会の打ち上げの様子もたくさん投稿されていて、なぜか私はビールにタグ付け🍺

参加はできなかったけど、仲間として応援してくれている思いが伝わり、嬉しかったです。


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【介護日記】2015年2月21日

 

入院中の父、なかなか退院のメドが立たないのですが、来週は私も仕事に戻らなくてはならないため、夜の付き添いができるのはひとまず今夜まで。

入院前はすぐに退院できると楽観視していて……というかどうなっても最期は家でとの思いがあるため、回復が見込めなければとっとと退院させたいと思っていました。

でも、おかげさまで現時点では徐々に落ち着いてきているので、逆にしっかり治す必要アリとなりました。

来週は1日だけ前もって申請していた誕生日休暇(誕生月に取得の必要あり)があるので1泊はするつもりですが、あとは仕事帰りに病院へ寄り、寝ついたのを確認してから帰宅するつもりです。

入院してから今日までずっと付き添っていたから、明日の夜が心配です(。´Д⊂)


父の母親(私の祖母)は、認知症になって数年後、決定権を持つ兄夫婦の一存で“病院送り”となりました。

数ヵ月後、ひどい床ズレ状態で病院からサジを投げられ帰されました。その数日後に亡くなりましたが、父と母は通いで毎日膿だらけのガーゼを交換しに本家に通いました。父はわが家で引き取りたかったらしいのですが、長男の家でみるという世間体から、引き取りは本家。

そのため、父は自分が母親を殺したと自分を責め、一時はメンタルを病んだこともありました。病院へ入れたのは父の判断ではありませんが、なんであのとき反対しなかったのか……と悔やんで。

そして【病院=母親が殺されたところ】というトラウマが残ってしまい、自分が老齢になって病に倒れた時、入院の際に「殺される!」と本気で脅えていました。

認知症になっているため、いくら正しい情報を説明しても理解できません。

だから、一瞬でも父を病院で一人にさせたくないんです。

現実には自分も生活がかかっているので仕事を投げ出すわけにはいきませんから(一昨年はやっちゃったけど)、付き添える時間は夜の数時間がせいぜいですが、少しでも恐怖心を取り除いてあげたいと思います。

 

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そして2件目の同日投稿

 

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【介護日記】2015年2月21日

 

入院中でも、基本的に父のケアはできるかぎりやるようにしています。検温や血圧測定は看護師さんにおまかせですが、口腔ケアや清拭、オムツ交換などは看護師さんに手伝っていただきながらやらせていただいています。


そして、家と変わらずに行っていることは、朝晩の挨拶。

「お父さん、おはようございます。今日も1日お願いします」

「お父さん、今日も1日お疲れさまでした。ありがとうございました」

……一番がんばってくれているのは、他でもない父ですから。

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