2019年5月26日の【介護回顧録】から
父を看取って3週間の頃。
なんだかハイテンションです。
泣いて笑って感情の変動がすごい目まぐるしい頃でした。
でも、職場では普通に仕事してたし、忙しくすることで心をコントロールしてたのかな。
あっ! 断捨離はまだなぜか続いています(笑)
どんだけモノがあったんだろうって(笑)
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【介護回顧録】2019年5月26日
※ちょっと間が開いちゃった💦
父が旅立って3週間が過ぎました。“その時”を迎えるまで長い時間をかけて覚悟を持ち(覚悟できるまで父が頑張ってくれたと思っています)、その瞬間もそばにいることができ、家族葬で見送ってしっかり悲しみに向き合う時間を持てました。
だからか、今は寂しいけれども穏やかな毎日を過ごせて……と言いたいところですが、そこはわが家🤣🤣🤣
せっかち母と仕切り屋娘のふたりになってしまったものだから、毎日フル稼働!
父に関する諸々のこともすごい勢いでチャッチャと進めています( ̄▽ ̄;)
私は父の臨終の際も泣きはしたけど取り乱すことなく落ち着いて見送ることができ、自分でも拍子抜けするほどでしたが、実は一度だけ号泣しました。
遺骨になった父と一緒に帰宅した夜。
妹一家も弟一家もそれぞれの家に帰り、わが家は私と母だけ…いや、父もいますね(笑)
母とふたりで父の遺影に向かい、特に涙することもなく父の話をしていました。
やがて母がお風呂に、私は母の次にお風呂に入るための準備で自分の部屋に行きました。
部屋に入って父の写真(ミニサイズの遺影も作ってくれた)を見た瞬間、これまた自分でも驚くぐらいに泣き叫んでいました(母に聞こえないと思ったのかな)。
慟哭というか嗚咽というのか……「クスン(/_;)」とか「えーん(;o;)」なんて可愛いものじゃなく、「ウォ~(TДT)」という感じ。もう、獣並み(笑) 鼻水も垂れまくりっ🐽💧
気持ちは落ち着いているはずなのに、後悔もないのに…なんでだろう…( -_・)?
でも、ひとしきり泣いたら何だか心が軽くなりました。
それまでも泣くのをガマンしているつもりはなかったけど、「うぉ~💧(ง°`ロ°)ง💦」って感情をMAXまで爆発させるのってけっこう必要かも💡
それで……仕事に復帰してから平日に母がひとりで家にいるのを気にしていたけれど、あえてひとりにさせて好き勝手に泣かせるのももしかしたら大切なことなのかもと思った次第。
もし母も号泣したいのであれば、娘の私もその場にいないほうが泣けるっしょ?😜
だけど当の母は毎日「お父さん❤️」と遺影に話しかけながら自分のペースで…つまりものすごい勢いで(!)相変わらず断捨離してます(笑)
大切な父を最期まで在宅で介護でき看取れたので、幸せいっぱいで本当にもう涙は出ないらしい(娘の気遣い意味ナーシ😅)
今は父がしっかり成仏できるように暇さえあればお題目をあげ、食事を仲良く分け合い(自分がどん兵衛食べた時は具のおあげを供えてた😆)、私が買って帰るおみやげを「笑福(仮名)からだよ❤️」とお供えしています。
私はまだ毎日涙が出るけれど、父のことはずっと考えていたいですね。
※今日は返礼品の手配でふたりでデパートに出かけたので、留守番の父に崎陽軒のお弁当買った🍱