泣き虫 笑福(わらふく)の在宅介護回顧録

約19年にわたって父を在宅介護してきた時に某SNSに綴っていた「介護日記」の振り返りです。

2013年8月16日の【介護日記】から

この投稿をした2013年8月は今思うと、父が入院して経管チューブ装着となり、前月に退院はしたものの衰弱していて、もう長くないかも…と、そう遠くない将来に訪れるであろう看取りに向き合う覚悟を秘かに決めた頃だったような。

だから、必死に父から話を聞こうとしてたのかもしれません。


私が子どもの頃から終戦記念日が近づくと、お約束のようにこの話を父から聞かされてきました。毎年決まったように同じ話ができることをありがたく思いました。

「来年も絶対に聞かせてね」と、父の手を握りながら密かに願いを込めていましたね。

 

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【介護日記】2013年8月16日

 

昨日に引き続き、父から聞いた戦時中~戦後の話。

父の実家の近くに、かつて大きいお屋敷がありました。門が大きくて中が全然見えない。それだけに、どんな人が住んでいるんだろうと通るたびに(歯医者への通り道でした)、子ども心にも気になっていました(ちなみに現在はそのお屋敷は取り壊され、教員住宅になり、さらに今は使用されていません)。


私が小学生の頃のある時、そのお屋敷の疑問を父にぶつけたところ、

「いま(質問当時)は知らないけれど、お父さんの子どもの頃は、アメリカ人が住んでた」とのこと。


…以下、父から聞いた話。


そのアメリカ人の家庭には、ジミーという男の子がいて、父よりも少し年下。

戦争に勝った国だから、当然いいものを持っていた。

ある時、ジミーが野球のグローブを持っていて、どうしてもそれが欲しかった父は、ジミーに「貸せ」と言って取り上げてしまったそうです。

父曰く、「あくまでも借りただけで奪ったわけではない」とのことですが、そこは子どものこと、父自身もちゃんと返したかどうかよく覚えていないとのこと。


しかし、大人の世界(戦争)では負けた日本なのに、父の……子どもの世界ではちゃっかり(?)勝利をおさめていたようで (^_^;)


でも、そのジミーのこと、敵国(!)だからいじめたとか仲が悪かったというわけではなく、とにかくいじる存在だったそうです。

なんたって戦勝国の子、物資には不自由してなかったようですから、それをいいことに父は命令を下し、いろいろ持ってこさせたと。ジミーもよく言うことをきいていたと、父から聞かされていました (^_^;)

まるでジャイアンですね (^_^;)


結局、子どもの世界は敵も味方もなかったんでしょうね。

この話も幼い頃からよく聞かされていました。

倒れてからも時折話題に出るので、「いまジミーはどうしてるの?」と聞いたことがあります。

「どうしているかなー、アメリカに帰っちゃったんだろうけど…」と懐かしそうにつぶやいていました。

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