2016年8月25日の【介護日記】から
正気の父とちゃんとした話をしたいと思いながらも、その状態だと父は自分の体が不自由になってしまったことを嘆き、泣き崩れていました。
そんな父を見ることは家族としては胸を締め付けられる思いでした。
何度も「世話かけてごめんよ」と。
全然迷惑じゃない、親の世話させてもらえることがこんなに尊く幸せなことだとは、経験するまで気づきませんでした。
健康チェックのために手にとってガン見する、父の💩や啖などの排泄物までもが愛おしかったのは嘘じゃありません。
そしてこの数年、メンタルを病んでいる私は死んでしまいたいと思ったことが何度もありました。
生きていることがツラくなりました。
でも、この投稿を振り返って、そんなことしちゃ父に叱られると反省しました。
まだしんどいときはあるけれど、父が守ってくれていると信じて前向きに生きることを誓います。
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【介護日記】2016年8月25日
先週まで熱が出たりいろいろあって点滴やってた父ですが、やっと落ち着きました。
でも、目を閉じている時間が増えたり、胃ろうからの栄養注入も何時間経過しても未消化だったりと、だいぶ弱ってきているようです。
少し、“いよいよ”の時が近づいてきていますね。
その父が最近、不思議と話すときはかなりはっきりとまともなことを話すようになりました。
全然“ボケて”いないんです。
「こんな状態になっちゃって……迷惑かけちゃって……早く死にたいよ」と泣くんです。
私は何も言えません。ただ、涙をこらえて適当に相づちを打つのが精一杯です。
不謹慎を承知で言いますが、自分で命を絶つことができる人はまだ幸せだと思います。もちろん、自殺は絶対にダメですけどね。
でも、寝たきりの父は自殺もできない。それを考えると、この状態になってもなお生きてくれていることに感謝しつつも申し訳ない気持ちにもなります。
毎日ハグして感謝の気持ちを伝えて、絶対に一人にしないように母と交代で見守って……。
あと、何が父のためにできるかな?
一緒に過ごせる時間が徐々に少なくなっている今、毎日のように課題にしています。